《停念堂閑記》155

 

「停念堂寄席」」92

  

 

嘘吐き」

 

 

ようこそ、「停念堂閑記」へ。よくお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

早速、恐縮で御座いますが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの、底、奥行きの浅い、要するにマヌケな話で御座います。

しかし、取り柄もございますよ。決して深刻にならないところです。夜、眠れなくなったりしませんからね。

すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

ただし、生真面目 ? なところが、唯一つの救いです。

ホンマかいな。 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。この目的さえ、しっかりと認識しておけば、万事OKで御座いますよ。

あるお方が申しておられましたよ。

ヒマ潰しにやることは、須(すべか)らくアホくさいものだと。

毎度毎度の《停念堂閑記》がそれを証明しておりますからね。 

さて、定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。これがリタイア後の最大の課題ですからね。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒! ヒマーッ!

A A O!  エイエイ オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声でんなー。

情けねー! トホホ。

 

さて、今回は、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う基本を踏まえて、嘘吐きの話をしようと思うのですよ。

と聞いただけで、もう、今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思ったでしょう。

そうです、そのようにお思いになられた方は、大正解。これ以上こんなのと付き合っても、碌(ろく)なことは御座いませんよ。

これは本当ですよ。その場凌ぎの政治家先生の出任せとは、根本的に違いますから。

今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思われたお方は、直ちにパソコンの電源をお切りになって、スマホに切り替えた方がよう御座いますよ。

あのー、スマホでも見れますから。本当ですよ。嘘は申しません。

それじゃー意味ねーだろうだって。その通り。これは、無意味です。私は、嘘は申しておりません。

とは言いましても、私だって、たまには、嘘を吐くことは御座いますよ。たまーにですよ。たまーに。

せいぜい、1日に、二、三回、いや四、五回くらいなものですかね。まー、常識の範囲で御座いますですよ。

なんてね。これが真っ赤な嘘なんですよ。

だいたい、嘘を吐く為には、そもそも何方か吐く相手が居なくては成立しないのですよ。ところが、私ゃー何方とも逢わない日が殆どで、嘘を吐きたくても、吐く相手が居ない日常なのですよ。

したがって、元に戻りますが、私ゃー嘘を吐きません。これは、嘘では御座いませんよ。ホンマ。嘘を吐ける環境にないのですよ。

全く、情けねー状況なのですよ。

しかし、嘘を吐くと言う事に関しては、いっぱいネタが有りますよ。有り余って、どこから取っ掛かれば良いかに、迷っちゃうくらいですよ。

ただね。隣のオヤジが、奥さんに仕事へ行くと嘘を吐いて、競馬に行ってたのよ。なんて言う嘘話は、ゴメンですよ。面白くないのですから。こんなことは、よくある事だし、当事者以外の者にとっては、こんな話を聞いたって、あーそうかいで終わってしまう、何とも面白味の無い、つまらねーえ話なんですよ。

こんなのだったら、この間、ウチの飼い犬に蚤がついちゃったので、とってやったところ、この蚤がなんと屁をこいただよ。これがくせーのなんのって、と言ったすっとぼけた嘘話の方が、よほど面白いでしょ。

けんど、抑も、蚤と言う奴は、屁をこくものなのかねー。なんて下らない事を考えてはいけませんよ。蚤で止まらなくなっちまいますからね。蚊はどうかな。虻はどうだ。トンボは、蝶々は、蜂は、アリンコは、バッタは、・・・と止まらなくなっちまいますからね。

そうなった時には、カメムシに登場してもらわなくてはね。カメムシなら四の五の言わず、屁の塊みたいなものですからね。ただし、カメムシの匂いが屁のせいかどうかは、存じませんがね。

あっ、思い出した。屁の話をしている場合では御座いませんよ。今回は、嘘吐きの話が本題でした。嘘吐きの話しをすると言っておきながら、屁の話に終始してしまったら、それこそ嘘をついた事になっちまいますからね。危なく、嘘吐きになってしまうところでしたね。気をつけねば。

この頃は、もー直ぐに度忘れをしてしまうのですよ。ちょっと、面白いネタを思いつくと、それまで考えていた事を、ころっと忘れちゃうのですよ。本当に困っちゃうのですよ。これは、嘘では御座いませんよ。本当の話ですよ。気を付けなければね。あぶねー、あぶねー。

さて、前回は、岸田総理に向けて爆発物が投げつけた事件について取り上げました。総理はSPに守られて危険場所からいち早く避難され、大事に至らず、何よりでした。

ところがですね。ここに若干の失望があるのですよ。

と言うのはですね。総理は、常々、演説やインタビューの時などに、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と言う発言を連発されているのですよ。きっと、総理の政治信条なのでしょうね。大変頼もしく、立派な事ですね。

前々総理の安倍さんが、北朝鮮がロケットの発射実験をする言い出した時、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と発言されていたのを覚えております。次の菅総理は、あまりこの発言をされた記憶が御座いませんね。

これが、岸田現総理になって、復活したのですよ。時々この発言をなさる様になりましたね。

すなわち、この発言が、どう言う事になるかと言うと、わかり良く噛み砕いて言うと、総理は常日頃、「国民の生命は私が守る」と言っていたのですよ。ところが爆発物を投げつけられた時、そこに集まっていた群衆(国民)も生命の危険にさらされていたわけですよ。この群衆の生命はさて置いて、ご自分はサッサとSPに誘導されて、安全な所へ避難したのですよ。

あれーっ、国民の生命を守ってくれるのではなかったっけー。と言うことになっちゃうのですよ。

あのように、突然爆発物を投げつけられた場合、総理がSPに助けられて避難するのは、全く当たり前の事ですよね。誰だって、そうすると思いますよ。大事にならなくて本当によかったですね。だから、総理が避難した事を咎める人はいない、と思います。

ところが、視点を変えると、総理が常日頃おっしゃっておられた同氏の政治信条と思しきものと、現実の行動は、全く異なっていたと言う現象が発生してしまったのですよ。

今回のテーマから言えば、総理は常日頃平然と嘘をついていた、と言うことになるのですよ。

一般国民は、総理が「私は、国民の生命と財産を守る」とおっしゃられても、それを鵜呑みにしている人は、まず、めったにおられないと思われますし、守られたと言う実感を受けた経験をお持ちの方は、まず極めて稀少と思われるような気がしますよね。つまり、政治家先生お決まりのお題目程度にしか聞こえない、要するに、大事な事として記憶にも残らない程度のものの様に感じられますよね。

ところが、平生は、気にも止まらぬ事なのですが、これが、何かの折に、ヒョコッと思い出したりする事があるのですよ。

つくづく残念に思うのですよ。

爆発物を投げつけられて、総理がSPに誘導されて避難したあの引き際に、「爆発物だ。皆さん退避してください。」の一言があったらならばなー、と思うのですよ。

そうすれば、総理の「国民の生命は守る」と言う、常日頃の発言は、嘘では無かった。自身の危険を顧みず、国民の生命を案じた、それはそれは立派な政治家となれたのですよ。ところが、それが無かったために、単なるお題目、嘘ついてた、と言う事になってしまったのですよね。つくづく残念ですね。

はたまた、今度は、集まった税金に余裕が出たので、これを国民に返還する、と言い切ったのですよ。岸田総理。

本当ですか。また嘘では無いの、となるわけですよ。

ところが直ぐに、税務を担当している財務省が、そんな余っている税金は御座いません。国民に一度集めた税を返すとなれば、その原資は御座いません。返還すると言うのなら、そのための赤字国債でも発行しなくてはならない事情にありますよ。と来たもんですよ。

またもや、やっぱり嘘かよ、となってしまうのですよ。

抑も、集まった税金に余裕が発生したから、国民に返還する、と言う発想がおかしく御座いませんか。政府は連年予算が不足していると言って、赤字国債を発行し続けている事態では御座いませんか。積もり積もって、モー、どれ程の額になっているのかも、思い出せませんよ。

これも振り返ってみれば、1965(昭和40)年11月19日、戦後初の赤字国債発行が閣議決定されましたね。佐藤栄作内閣の時代でした。凄いですね。ノーベル平和賞を受賞されたお方の内閣で御座いますよ。この時に、赤字国債を発行して、歳出の一時凌ぎに踏み切った、と言う次第でしたね。初の東京オリンピック後の財政難の一時凌ぎに、赤字国債の発行と言う打ち出の小槌の使用を始めたのですね。

 その時、赤字国債は後世にツケを回すわ、孫子にツケを回すのは如何なものか、と言う意見がしきりでしたが、これは今回限りで、前例にしない、と言う様な政府の答弁がなされていた様な記憶が御座いますな。

ところが、今となっては、そんな事は何処吹く風、真っ赤な嘘。赤字国債の発行は、毎年当たり前。国会議員先生の中には、赤字国債による借金は、将来にわたっても、返却する必要はない、と言う様なことをシャーシャーと言ってのける者も現れ、選挙の前には、打ち出の小槌を振りかざしては、ガッポガッポと赤字国債を発行して、気前良げに大盤振る舞い、集票活動に専念するのが国会議員先生の常套手段となってますからね。と言ったら嘘でしょうか ?  嘘かどうかは、国会議員先生の常日頃の言動を見ていれば、おおよそは判断がつきますね。

現在、メディア、巷で専ら話題になっているのは、政治資金に関わる自民党各派閥の政治資金に関わる不正についてですね。要するに、政治資金を得た場合には、その決まりに従って、会計を明朗、透明にしておかなくてはならないところを、嘘を記載してごまかしていた事が明るみに出てしまった、と言う事ですな。これが、自民党の最も有力各派閥で行われていたと言うのですから、国民からすれば、国会議員の先生らは、揃って嘘吐きなんやろーな、と言う事にならざるを得ないのでは無いのかなー。と言う気がしてくるのですよ。

総理は、国会の答弁で、自分の派閥では指摘を受けたので、直ちに調査しが、問題は無かった、と堂々とされていましたね。

他の派閥については、まだ、どうなっているのか小生は確認しておりません。

たとえ不正な点が見つかったとしても、おそらく実態に沿って、正しく改めた、と言う程度の事で、幕引きとなるのでは無いのかと、懸念しております。特捜の方々、しっかり調べて下さいよ。

悪さをしても、訂正すれば、万事チャラ、無かった事になるのでしょうかね。

子供の頃、「御免で済めば、警察はいらねー。」なんて、よく言いましたよ。

国会議員先生のなさる事は、一皮剥けば、ひょっとして嘘ばかり、と疑われても仕方の無い事態なのでは ? と疑う向きが多いのでは、と想像するに難くありませんなー。

とにかく、国会議員先生方は、常に嘘とご一緒しておられるのでは無いか、と疑われる様な事態がままおありの様に見受けられはしませんか。お遍路さんは、一人で歩いても、弘法大師様と常に一緒、同行二人とか。国会議員先生のご同行相手は、はてはて・・・ ?

だから、この様な状態と見受けられる場合が多いので、国民による政治不信は、強まる一方なのでは無いでしょうか。

減税するとか、給付金を出すとか、耳触りの良い事、目先に人参をぶら下げられても、国民は、おいそれとは、食いつかない事態に陥っている様な気がしますね。

内閣及び与党の支持率の低下が、これを如実に示していると思われますね。

支持率の低いのは、国会議員先生に対する信頼度の低さなのが、明らかですね。どうしてと問われれば、嘘を吐くから、信用できないから、と言う人間性不信に尽きるのでは御座いませんかと、思いたくなるのですよ。

子供の頃に、よく「嘘は泥棒の始まり」と言う教訓にお目にかかりましたなー。悪さをして、親に見つかり、ごまかそうと嘘を吐くと、直ぐに見抜かれて「嘘は泥棒の始まり。ゴツーン!」と来るのが常でしたね。今では、ゴツーンはダメでしょうがね。

これが怒られる方の子供にとっては、言葉で注意されるより、ゴツーン一発の方が歓迎されていたりしましたな。言葉で、ネチネチと長い時間説教されるとと、子供にとっては、こっちの方がしんどいのですよ。それよりも、一瞬のゴツーン一発で釈放された方が、よほど良かったりしたものですよ。現在は、ゴツーンは理由を問わず全面禁止ですからね。今の子供は、否応なしにネチネチ注意、お説教に耐えなくてはなりませんよ。

ところで、どうして国会議員の先生は、この「嘘は泥棒の始まり」の教訓をコロッと忘れ去ってしまうのですかね。

世襲議員先生が多くいらっしゃいますが、ひょっとして世襲議員先生のご家庭では、この様な教訓的教育はご法度なのでしょうかね。

国会議員の先生のご家庭では、それはそれなりになかなか大変なところがお有りな事とお察し致しますがね。

国会議員のお父さんが、何かの不都合を起こして嘘をつき、メデァで色々と報道しきりの時、御家庭で、お父さんは嘘をついたの ? と我が子に問われたら、お母さんはどうしましょう。

お父さんは、お国のために一所懸命働いているのですよ、と諭した場合、お子さんは、ひょっとして「嘘を吐く事は、お国のためになる事」と了解してしまったらどうします。この子が成長して、二世議員となったらどうでしょうか。これはなかなか難儀な事態発生ですよ。どうします。

まー、上記は笑い話ですが、要するに嘘も方便と言いつつも、嘘はヤッパリいけませんなー。信用をなくしますから。

 

「嘘は泥棒の始まり!」と言う、今時、殆どの聴くことのなくなった教訓をもって、今回の結びと致します。

お疲れ様でした。

お付き合い、どうも有難うこざいました。

お後がよろしいで。

《停念堂閑記》155

 

《停念堂閑記》155

 

「停念堂寄席」」92

  

 

嘘吐き」

 

 

ようこそ、「停念堂閑記」へ。よくお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

早速、恐縮で御座いますが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの、底、奥行きの浅い、要するにマヌケな話で御座いますので、あまり期待はなさらないで下さいませ。

しかし、多少の取り柄もございますよ。それは、決して深刻にならないところです。夜、眠れなくなったりしませんからね。

すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

ただし、生真面目 ? なところもあるのですよ。

ホンマかいな。どこが、真面目なんや。

たとえトンマなフザケタ話でも、真面目に取り組まなくてはいけませんよ。信用に関わりますからね。支持率が低下すると、大変ですからね。 

ここでの話は、なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。この目的さえ、しっかりと認識しておけば、万事OKで御座いますよ。

あるお方が申しておられましたよ。

ヒマ潰しにやることは、須(すべか)らくアホくさいものだと。

毎度毎度の《停念堂閑記》がそれを証明しておりますからね。 

さて、定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。これがリタイア後の最大の課題ですからね。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

どうです。この生真面目な姿勢。どこを切っても生真面目の金太郎飴。この真摯な生き方こそ、リタイア後のあるべき姿とはお思いになりませんか。

アホかーってですか。ご指摘の通りで御座います。

それでは、参ります。

打倒! ヒマーッ!

A A O!  エイエイ オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声でんなー。

情けねー! トホホ。

 

さて、今回は、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う基本を踏まえて、「嘘吐き」の話をしようと思うのですよ。

どうです。今回のテーマは ?

文句無くアホ臭いでしょう。これでも、今回は何で行こうかと、結構悩むのですよ。とにかく、根が生真面目ですからね。この生真面目さで、どれほど損したことか。

皮肉なものですよ。渡る世間は、とにかく真面目 = 損で出来ているところがあるようですからね。嘘では御座いませんよ。

と聞いただけで、もう、今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思ったでしょう。

そうです、そのようにお思いになられた方は、大正解。これ以上こんなのと付き合っても、碌(ろく)なことは御座いませんよ。

これは本当ですよ。嘘では御座いませんよ。その場凌ぎの政治家先生の出任せとは、根本的に違いますから。

今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思われたお方は、直ちにパソコンの電源をお切りになって下さいませ。

ただし、スマホに切り替えるのは有りですよ。

あのー、スマホでも見れますから。本当ですよ。嘘は申しません。

それじゃー意味ねーだろうだって。その通り。これは、無意味です。私は、嘘は申しておりません。

とは言いましても、私だって、たまには、嘘を吐くことは御座いますよ。たまーにですよ。

たまーに。本当の事も言いますがね。

噓を吐くのは、せいぜい、1日に、二、三回、いや四、五回くらいなものですかね。まー、常識の範囲内で御座いますですよ。

なんてね。これが真っ赤な嘘なんですよ。

だいたい、嘘を吐く為には、そもそも何方(どなた)か吐く相手が居なくては成立しないのですよ。ところが、私ゃー何方とも逢わず、人との会話のない日が殆どで、嘘を吐きたくても、吐く相手が居ない日常なのですよ。

したがって、元に戻りますが、私ゃー嘘を吐きません。これは、嘘では御座いませんよ。ホンマ。嘘を吐ける環境にないのですよ。

しかし、嘘を吐くと言う事に関しては、いっぱいネタが有りますよ。有り余って、どこから取っ掛かれば良いかに、迷っちゃうくらいですよ。

ただね。隣のオヤジが、奥さんに仕事へ行くと嘘を吐いて、競馬に行ってたのよ。なんて言う嘘話は、ゴメンですよ。なんら面白くないですから。こんなことは、よくある事だし、当事者以外の者にとっては、こんな話を聞いたって、あーそうかいで終わってしまう、何とも面白味の無い、発展性の無いつまらねーえ話なんですよ。

こんなのだったら、この間、ウチの飼い犬に蚤がついちゃったので、とってやったところ、この蚤がなんと屁をこいただよ。これがくせーのなんのって、と言ったすっとぼけた嘘話の方が、よほど面白いでしょ。

けんど、そもそも、蚤と言う奴は、屁をこくものなのかねー。なんて下らない事を考えてはいけませんよ。蚤で止まらなくなっちまいますからね。蚊はどうかな。虻はどうだ。トンボは、蝶々は、蜂は、アリンコは、バッタは、・・・と止まらなくなっちまいますからね。

そうなった時には、カメムシに登場してもらわなくてはね。カメムシなら四の五の言わず、屁の塊みたいなものですからね。ただし、カメムシの匂いが屁のせいかどうかは、存じませんがね。

あっ、思い出した。屁の話をしている場合では御座いませんよ。今回は、「嘘吐き」の話が本題でした。嘘吐きの話しをすると言っておきながら、屁の話に終始してしまったら、それこそ嘘をついた事になっちまいますからね。危なく、嘘吐きになってしまうところでしたね。気をつけねば。

この頃は、モー直ぐに度忘れをしてしまうのですよ。ちょっと、面白いネタを思いつくと、それまで考えていた事を、ころっと忘れちゃうのですよ。本当に困っちゃうのですよ。これは、嘘では御座いませんよ。本当の話ですよ。気を付けなければね。あぶねー、あぶねー。

さて、前回は、岸田総理に向けて爆発物が投げつけられた事件について取り上げました。総理はSPに守られて危険場所からいち早く避難され、大事に至らず、何よりでした。

ところがですね。ここに若干の失望があるのですよ。

と言うのはですね。総理は、常々、演説やインタビューの時などに、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と言う発言を連発されているのですよ。きっと、総理の政治信条なのでしょうね。大変頼もしく、立派な事ですね。

前々総理の安倍さんが、北朝鮮がロケットの発射実験をすると言い出した時、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と発言されていたのを覚えております。次の菅総理は、あまりこの発言をされた記憶が御座いませんね。度忘れですかね。

これが、岸田現総理になって、復活したのですよ。時々この発言をなさる様になりましたね。

すなわち、この発言が、どう言う事になるかと言うと、わかり良く噛み砕いて言うと、総理は常日頃、「国民の生命は私が守る」と言っていたのですよ。ところが爆発物を投げつけられた時、そこに集まっていた群衆(国民)も生命の危険にさらされていたわけですよ。ところが、この群衆の生命はさて置いて、総理ご自身はサッサとSPに誘導されて、安全な所へ避難なさったのですよ。

あれーっ、国民の生命を守ってくれる筈ではなかったっけー。と言うことになっちゃうのですよ。

あのように、突然爆発物を投げつけられた場合、総理がSPに助けられて避難するのは、全く当たり前の事ですよね。誰だって、そうすると思いますよ。大事にならなくて本当によかったですね。だから、総理が避難した事を咎める人はいない、と思います。

ところが、視点を変えると、総理が常日頃おっしゃっておられた同氏の政治信条と思しきものと、現実の行動は、全く異なっていたと言う現象が発生してしまったのですよ。

分かり良く言うと、今回のテーマからすれば、総理は常日頃平然と嘘をついていた、と言うことになっちゃうのですよ。

一般国民は、総理が「私は、国民の生命と財産を守る」とおっしゃられても、それを鵜呑みにしている人は、まず、めったにおられないと思われますし、守られたと言う実感を受けた経験をお持ちの方は、まず極めて稀少と思われるような気がしますよね。つまり、政治家先生お決まりのお題目程度にしか聞こえない、要するに、大事な事として記憶にも残らない程度のものの様に感じられますよね。

ところが、普段は、気にも止まらぬ事なのですが、これが、何かの折に、ヒョコッと思い出したりする事があるのですよ。

つくづく残念に思うのですよ。

爆発物を投げつけられて、総理がSPに誘導されて避難したあの引き際に、「爆発物だ。皆さん退避してください。」の総理の一声があったらならばなー、と思うのですよ。

そうすれば、総理の「国民の生命は守る」と言う、常日頃の発言は、嘘では無かった。自身の危険を顧みず、国民の生命を案じた、それはそれは立派な政治家となれたのですよ。ところが、それが無かったために、単なるお題目、嘘ついてた、と言う事になってしまったのですよね。つくづく残念ですね。

はたまた、今度は、集まった税金に余裕が出たので、これを国民に返還する、と言い切ったのですよ。岸田総理。

本当ですか。また嘘では無いの? となるわけですよ。

ところが直ぐに、税務を担当している財務省が、そんな余っている税金は御座いません。国民に一度集めた税を返すとなれば、その原資は御座いません。返還すると言うのなら、そのための赤字国債でも発行しなくてはならない事情にありますよ。と来たもんですよ。

ほらほら、またもや、やっぱり嘘かよ、となってしまうのですよ。

そもそも、集まった税金に余裕が発生したから、国民に返還する、と言う発想がおかしく御座いませんか。政府は連年予算が不足していると言って、赤字国債を発行し続けている事態では御座いませんか。積もり積もって、モー、どれ程の額になっているのかも、思い出せませんよ。

これも振り返ってみれば、1965(昭和40)年11月19日、戦後初の赤字国債発行が閣議決定されましたね。佐藤栄作内閣の時でした。凄いですね。ノーベル平和賞を受賞されたお方の内閣で御座いますよ。この時に、赤字国債を発行して、歳出の一時凌ぎに踏み切った、と言う次第でしたね。初の東京オリンピック後の財政難の一時凌ぎに、赤字国債の発行と言う打ち出の小槌の使用を始めたのですね。

 その時、赤字国債は後世にツケを回すわ、子孫にツケを回すのは如何なものか、と言う意見がしきりでしたが、これは今回限りで、前例にしない、と言う様な政府の答弁がなされていた様な記憶が御座いますな。

ところが、今となっては、そんな事は何処吹く風、真っ赤な嘘。赤字国債の発行は、毎年当たり前。国会議員先生の中には、赤字国債による借金は、将来にわたっても、返却する必要はない、と言う様なことをシャーシャーと言ってのける者も現れ、選挙の前には、打ち出の小槌を振りかざしては、ガッポガッポと赤字国債を発行して、気前良げに大盤振る舞い、集票活動に専念するのが国会議員先生の常套手段となってますからね。と言ったら嘘でしょうか ?  嘘かどうかは、国会議員先生の常日頃の言動を見ていれば、おおよそは判断がつきますね。

現在、国会、メディア、巷で専ら話題になっているのは、自民党各派閥の政治資金に関わる不正についてですね。要するに、政治資金を得た場合には、その決まりに従って、会計を明朗、透明にしておかなくてはならないところを、ごまかしていた事が明るみに出てしまった、と言う事ですな。これが、自民党の最も有力各派閥で行われていたと言うのですから、国民からすれば、国会議員の先生らは、揃って不正を行い、嘘を吐いているんやろーなー、と言う事にならざるを得ないのでは無いのかなー。と言う気がしてくるのですよ。

総理は、国会の答弁で、自分の派閥では指摘を受けたので、直ちに調査しが、問題は無かった、と堂々とされていましたね。こうなっては、仕方がないので、派閥から離れる、と言ってますね。

他の派閥については、まだ、どうなっているのか小生は確認しておりません。

以前に、「その点については、記憶に御座いません。」と言うのが流行したことがありましたが、今は「係争中に付き、その件についての発言を控えさせて頂く。」と言うのが流行しそうですね。

何をすっとぼけた事を言ってるんですかね。

裁判中に、被告当人が、犯罪を犯していなければ、自身の潔白を主張するのは、当然のこととして、当たり前に行われますよね。これを、係争中なので、発言を控ますなどと言ったら、モー笑っちゃいますよね。

もしも、被疑者に僅かの良心があるならば、「その件につて本当の事を言うと、私は有罪になるかも知れないので、その件についての発言は、控えたい。」と言えば、嘘を吐いた事にはなりませんよ。

この自民党各派閥の政治資金事件については、特捜がどこまで頑張るかに掛かっているようですね。

この種の事実関係を克明に明らかにする事、その事実証拠を掴むのは、極めて難しい事に属しますよね。

ドラエモンのタイムマシーンか何処でもドアーで、不正が行われている現場に行ければ、証拠が掴めるでしょうが、このようなことは現実にはねー。ナカナカですよね。この種の事実関係の証拠を掴むのは、とにかく困難を伴う訳ですよ。当事者の自白が有力な証拠となる得るでしょうが、当事者が嘘を吐くことは、達人中の達人ですからね。本当の事は、言いませんよね。

たとえ不正な点が見つかったとしても、おそらく実態に沿って、会計帳簿を正しく書き改めた、と言う程度の事で、幕引きとなるのでは無いのかと、懸念しております。特捜の方々、しっかり調べて下さいね。国民は、もはや特捜以外に、期待する以外にないのですから。

悪さをしても、訂正すれば、万事チャラ、無かった事になるのでしょうかね。

子供の頃、「御免で済めば、警察はいらねー。」なんて、よく言いましたよ。

国会議員先生のなさる事は、一皮剥けば、ひょっとして嘘ばかり、と疑われても仕方の無い事態なのでは ? と疑う向きが多いのでは、と想像するに難くありませんなー。

とにかく、国会議員先生方は、常に嘘とご一緒しておられるのでは無いか、と疑われる様な事態がままおありの様に見受けられはしませんか。

巡礼のお遍路さんは、一人で歩いても、弘法大師様と常に一緒、同行二人とか。国会議員先生のご同行相手は、はてはて・・・ ?

だから、この様な状態と見受けられる場合が多いので、国民による政治家不信は、強まる一方なのでは無いでしょうか。

減税するとか、給付金を出すとか、耳触りの良い事、目先に人参をぶら下げられても、国民は、おいそれとは、食いつかない事態に陥っている様な気がしますね。

内閣及び与党の支持率の低下が、これを如実に示していると思われますね。

支持率の低いのは、国会議員先生に対する信頼度の低さなのが、明らかですね。どうしてと問われれば、嘘を吐くから、信用できないから、と言う人間性不信に尽きるのでは御座いませんかと、思いたくなるのですよ。

子供の頃に、よく「嘘吐きは泥棒の始まり」と言う教訓にお目にかかりましたなー。悪さをして、親に見つかり、ごまかそうと嘘を吐くと、直ぐに見抜かれて「嘘吐きは泥棒の始まり。ゴツーン!」と来るのが常でしたね。今では、ゴツーンはダメでしょうがね。

これが怒られる方の子供にとっては、言葉で注意されるより、ゴツーン一発の方が歓迎されていたりしましたな。正座させられて、言葉で、ネチネチと長い時間お説教されると、子供にとっては、こっちの方がしんどいのですよ。それよりも、一瞬のゴツーン一発で釈放され、さっさと遊びに出かける方が、よほど良かったりしたものですよ。現在は、ゴツーンは理由を問わず全面禁止ですからね。今の子供は、否応なしに注意、お説教に耐えなくてはなりませんよ。

これも、度を越す注意・説教は、パワハラとなるのでしょうねー。「度を越す」の「度」の程度が問題となるのでしょうが。どのあたりの「度」が、適性の「度」なのか、難しさが御座いますなー。現在は、とにかく「パワハラだー」、が頻発していますからね。君子危うきに近寄らずで、指示、注意の手抜きが多くなっている現実なのでは、と言う気がしないでも御座いませんな。

ところで、どうして国会議員の先生は、この「嘘吐きは泥棒の始まり」の教訓をコロッと忘れ去ってしまうのですかね。

世襲議員先生が多くいらっしゃいますが、ひょっとして世襲議員先生のご家庭では、この様な教訓的教育はご法度なのでしょうかね。

国会議員の先生のご家庭では、それはそれなりに、そうではない御家庭と異なり、なかなか大変なところがお有りな事とお察し致しますがね。

国会議員のお父さん・お母さん、あるいはおじいちゃん・おばあちゃんが、何かの不正を起こして嘘をつき、メデァで色々と報道しきりの時、御家庭で、お父さん・お母さんあるいはおじいちゃん・おばあちゃんは嘘をついたの ? と我が子、あるいは孫に問われたら、お父さん・お母さんは、あるいはおじいちゃん・おばあちゃんはどうしましょう。

お父さん・お母さんあるいはおじいちゃん・おばあちゃんは、お国のために一所懸命働いているのですよ、と諭した場合、お子さん、あるいはお孫さんは、ひょっとして「嘘を吐く事は、お国のためになる事」と了解してしまったらどうします。この子らが成長して、二世議員となったらどうでしょうか。これは中々難儀な事態発生ですよ。どうします。

まー、上記は笑い話ですが、要するに嘘も方便と言われる場合も御座いますが、嘘はヤッパリいけませんなー。信用をなくしますから。

 

「嘘吐きは泥棒の始まり!」と言う、今時、殆ど聞くことのなくなった教訓をもって、今回の結びと致します。

お疲れ様でした。

お付き合い、どうも有難うこざいました。

お後がよろしいで。

《停念堂閑記》155

《停念堂閑記》155

 

「停念堂寄席」」92

  

 

嘘吐き」

 

 

ようこそ、「停念堂閑記」へ。よくお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

早速、恐縮で御座いますが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの、底、奥行きの浅い、要するにマヌケな話で御座いますので、あまり期待はなさらないで下さいませ。

しかし、多少の取り柄もございますよ。それは、決して深刻にならないところです。夜、眠れなくなったりしませんからね。

すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

ただし、生真面目 ? なところもあるのですよ。

ホンマかいな。どこが、真面目なんや。

たとえトンマなフザケタ話でも、真面目に取り組まなくてはいけませんよ。信用に関わりますからね。支持率が低下すると、大変ですからね。 

ここでの話は、なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。この目的さえ、しっかりと認識しておけば、万事OKで御座いますよ。

あるお方が申しておられましたよ。

ヒマ潰しにやることは、須(すべか)らくアホくさいものだと。

毎度毎度の《停念堂閑記》がそれを証明しておりますからね。 

さて、定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。これがリタイア後の最大の課題ですからね。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

どうです。この生真面目な姿勢。どこを切っても生真面目の金太郎飴。この真摯な生き方こそ、リタイア後のあるべき姿とはお思いになりませんか。

アホかーってですか。ご指摘の通りで御座います。

それでは、参ります。

打倒! ヒマーッ!

A A O!  エイエイ オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声でんなー。

情けねー! トホホ。

 

さて、今回は、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う基本を踏まえて、「嘘吐き」の話をしようと思うのですよ。

どうです。今回のテーマは ?

文句無くアホ臭いでしょう。これでも、今回は何で行こうかと、結構悩むのですよ。とにかく、根が生真面目ですからね。この生真面目さで、どれほど損したことか。

皮肉なものですよ。渡る世間は、とにかく真面目 = 損で出来ているところがあるようですからね。嘘では御座いませんよ。

と聞いただけで、もう、今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思ったでしょう。

そうです、そのようにお思いになられた方は、大正解。これ以上こんなのと付き合っても、碌(ろく)なことは御座いませんよ。

これは本当ですよ。嘘では御座いませんよ。その場凌ぎの政治家先生の出任せとは、根本的に違いますから。

今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思われたお方は、直ちにパソコンの電源をお切りになって下さいませ。

ただし、スマホに切り替えるのは有りですよ。

あのー、スマホでも見れますから。本当ですよ。嘘は申しません。

それじゃー意味ねーだろうだって。その通り。これは、無意味です。私は、嘘は申しておりません。

とは言いましても、私だって、たまには、嘘を吐くことは御座いますよ。たまーにですよ。

たまーに。本当の事も言いますがね。

噓を吐くのは、せいぜい、1日に、二、三回、いや四、五回くらいなものですかね。まー、常識の範囲内で御座いますですよ。

なんてね。これが真っ赤な嘘なんですよ。

だいたい、嘘を吐く為には、そもそも何方(どなた)か吐く相手が居なくては成立しないのですよ。ところが、私ゃー何方とも逢わず、人との会話のない日が殆どで、嘘を吐きたくても、吐く相手が居ない日常なのですよ。

したがって、元に戻りますが、私ゃー嘘を吐きません。これは、嘘では御座いませんよ。ホンマ。嘘を吐ける環境にないのですよ。

しかし、嘘を吐くと言う事に関しては、いっぱいネタが有りますよ。有り余って、どこから取っ掛かれば良いかに、迷っちゃうくらいですよ。

ただね。隣のオヤジが、奥さんに仕事へ行くと嘘を吐いて、競馬に行ってたのよ。なんて言う嘘話は、ゴメンですよ。なんら面白くないですから。こんなことは、よくある事だし、当事者以外の者にとっては、こんな話を聞いたって、あーそうかいで終わってしまう、何とも面白味の無い、発展性の無いつまらねーえ話なんですよ。

こんなのだったら、この間、ウチの飼い犬に蚤がついちゃったので、とってやったところ、この蚤がなんと屁をこいただよ。これがくせーのなんのって、と言ったすっとぼけた嘘話の方が、よほど面白いでしょ。

けんど、そもそも、蚤と言う奴は、屁をこくものなのかねー。なんて下らない事を考えてはいけませんよ。蚤で止まらなくなっちまいますからね。蚊はどうかな。虻はどうだ。トンボは、蝶々は、蜂は、アリンコは、バッタは、・・・と止まらなくなっちまいますからね。

そうなった時には、カメムシに登場してもらわなくてはね。カメムシなら四の五の言わず、屁の塊みたいなものですからね。ただし、カメムシの匂いが屁のせいかどうかは、存じませんがね。

あっ、思い出した。屁の話をしている場合では御座いませんよ。今回は、「嘘吐き」の話が本題でした。嘘吐きの話しをすると言っておきながら、屁の話に終始してしまったら、それこそ嘘をついた事になっちまいますからね。危なく、嘘吐きになってしまうところでしたね。気をつけねば。

この頃は、モー直ぐに度忘れをしてしまうのですよ。ちょっと、面白いネタを思いつくと、それまで考えていた事を、ころっと忘れちゃうのですよ。本当に困っちゃうのですよ。これは、嘘では御座いませんよ。本当の話ですよ。気を付けなければね。あぶねー、あぶねー。

さて、前回は、岸田総理に向けて爆発物が投げつけられた事件について取り上げました。総理はSPに守られて危険場所からいち早く避難され、大事に至らず、何よりでした。

ところがですね。ここに若干の失望があるのですよ。

と言うのはですね。総理は、常々、演説やインタビューの時などに、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と言う発言を連発されているのですよ。きっと、総理の政治信条なのでしょうね。大変頼もしく、立派な事ですね。

前々総理の安倍さんが、北朝鮮がロケットの発射実験をすると言い出した時、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と発言されていたのを覚えております。次の菅総理は、あまりこの発言をされた記憶が御座いませんね。度忘れですかね。

これが、岸田現総理になって、復活したのですよ。時々この発言をなさる様になりましたね。

すなわち、この発言が、どう言う事になるかと言うと、わかり良く噛み砕いて言うと、総理は常日頃、「国民の生命は私が守る」と言っていたのですよ。ところが爆発物を投げつけられた時、そこに集まっていた群衆(国民)も生命の危険にさらされていたわけですよ。ところが、この群衆の生命はさて置いて、総理ご自身はサッサとSPに誘導されて、安全な所へ避難なさったのですよ。

あれーっ、国民の生命を守ってくれる筈ではなかったっけー。と言うことになっちゃうのですよ。

あのように、突然爆発物を投げつけられた場合、総理がSPに助けられて避難するのは、全く当たり前の事ですよね。誰だって、そうすると思いますよ。大事にならなくて本当によかったですね。だから、総理が避難した事を咎める人はいない、と思います。

ところが、視点を変えると、総理が常日頃おっしゃっておられた同氏の政治信条と思しきものと、現実の行動は、全く異なっていたと言う現象が発生してしまったのですよ。

分かり良く言うと、今回のテーマからすれば、総理は常日頃平然と嘘をついていた、と言うことになっちゃうのですよ。

一般国民は、総理が「私は、国民の生命と財産を守る」とおっしゃられても、それを鵜呑みにしている人は、まず、めったにおられないと思われますし、守られたと言う実感を受けた経験をお持ちの方は、まず極めて稀少と思われるような気がしますよね。つまり、政治家先生お決まりのお題目程度にしか聞こえない、要するに、大事な事として記憶にも残らない程度のものの様に感じられますよね。

ところが、普段は、気にも止まらぬ事なのですが、これが、何かの折に、ヒョコッと思い出したりする事があるのですよ。

つくづく残念に思うのですよ。

爆発物を投げつけられて、総理がSPに誘導されて避難したあの引き際に、「爆発物だ。皆さん退避してください。」の総理の一声があったらならばなー、と思うのですよ。

そうすれば、総理の「国民の生命は守る」と言う、常日頃の発言は、嘘では無かった。自身の危険を顧みず、国民の生命を案じた、それはそれは立派な政治家となれたのですよ。ところが、それが無かったために、単なるお題目、嘘ついてた、と言う事になってしまったのですよね。つくづく残念ですね。

はたまた、今度は、集まった税金に余裕が出たので、これを国民に返還する、と言い切ったのですよ。岸田総理。

本当ですか。また嘘では無いの? となるわけですよ。

ところが直ぐに、税務を担当している財務省が、そんな余っている税金は御座いません。国民に一度集めた税を返すとなれば、その原資は御座いません。返還すると言うのなら、そのための赤字国債でも発行しなくてはならない事情にありますよ。と来たもんですよ。

ほらほら、またもや、やっぱり嘘かよ、となってしまうのですよ。

そもそも、集まった税金に余裕が発生したから、国民に返還する、と言う発想がおかしく御座いませんか。政府は連年予算が不足していると言って、赤字国債を発行し続けている事態では御座いませんか。積もり積もって、モー、どれ程の額になっているのかも、思い出せませんよ。

これも振り返ってみれば、1965(昭和40)年11月19日、戦後初の赤字国債発行が閣議決定されましたね。佐藤栄作内閣の時でした。凄いですね。ノーベル平和賞を受賞されたお方の内閣で御座いますよ。この時に、赤字国債を発行して、歳出の一時凌ぎに踏み切った、と言う次第でしたね。初の東京オリンピック後の財政難の一時凌ぎに、赤字国債の発行と言う打ち出の小槌の使用を始めたのですね。

 その時、赤字国債は後世にツケを回すわ、子孫にツケを回すのは如何なものか、と言う意見がしきりでしたが、これは今回限りで、前例にしない、と言う様な政府の答弁がなされていた様な記憶が御座いますな。

ところが、今となっては、そんな事は何処吹く風、真っ赤な嘘。赤字国債の発行は、毎年当たり前。国会議員先生の中には、赤字国債による借金は、将来にわたっても、返却する必要はない、と言う様なことをシャーシャーと言ってのける者も現れ、選挙の前には、打ち出の小槌を振りかざしては、ガッポガッポと赤字国債を発行して、気前良げに大盤振る舞い、集票活動に専念するのが国会議員先生の常套手段となってますからね。と言ったら嘘でしょうか ?  嘘かどうかは、国会議員先生の常日頃の言動を見ていれば、おおよそは判断がつきますね。

現在、国会、メディア、巷で専ら話題になっているのは、自民党各派閥の政治資金に関わる不正についてですね。要するに、政治資金を得た場合には、その決まりに従って、会計を明朗、透明にしておかなくてはならないところを、ごまかしていた事が明るみに出てしまった、と言う事ですな。これが、自民党の最も有力各派閥で行われていたと言うのですから、国民からすれば、国会議員の先生らは、揃って不正を行い、嘘を吐いているんやろーなー、と言う事にならざるを得ないのでは無いのかなー。と言う気がしてくるのですよ。

総理は、国会の答弁で、自分の派閥では指摘を受けたので、直ちに調査しが、問題は無かった、と堂々とされていましたね。こうなっては、仕方がないので、派閥から離れる、と言ってますね。

他の派閥については、まだ、どうなっているのか小生は確認しておりません。

以前に、「その点については、記憶に御座いません。」と言うのが流行したことがありましたが、今は「係争中に付き、その件についての発言を控えさせて頂く。」と言うのが流行しそうですね。

何をすっとぼけた事を言ってるんですかね。

裁判中に、被告当人が、犯罪を犯していなければ、自身の潔白を主張するのは、当然のこととして、当たり前に行われますよね。これを、係争中なので、発言を控ますなどと言ったら、モー笑っちゃいますよね。

もしも、被疑者に僅かの良心があるならば、「その件につて本当の事を言うと、私は有罪になるかも知れないので、その件についての発言は、控えたい。」と言えば、嘘を吐いた事にはなりませんよ。

この自民党各派閥の政治資金事件については、特捜がどこまで頑張るかに掛かっているようですね。

この種の事実関係を克明に明らかにする事、その事実証拠を掴むのは、極めて難しい事に属しますよね。

ドラエモンのタイムマシーンか何処でもドアーで、不正が行われている現場に行ければ、証拠が掴めるでしょうが、このようなことは現実にはねー。ナカナカですよね。この種の事実関係の証拠を掴むのは、とにかく困難を伴う訳ですよ。当事者の自白が有力な証拠となる得るでしょうが、当事者が嘘を吐くことは、達人中の達人ですからね。本当の事は、言いませんよね。

たとえ不正な点が見つかったとしても、おそらく実態に沿って、会計帳簿を正しく書き改めた、と言う程度の事で、幕引きとなるのでは無いのかと、懸念しております。特捜の方々、しっかり調べて下さいね。国民は、もはや特捜以外に、期待する以外にないのですから。

悪さをしても、訂正すれば、万事チャラ、無かった事になるのでしょうかね。

子供の頃、「御免で済めば、警察はいらねー。」なんて、よく言いましたよ。

国会議員先生のなさる事は、一皮剥けば、ひょっとして嘘ばかり、と疑われても仕方の無い事態なのでは ? と疑う向きが多いのでは、と想像するに難くありませんなー。

とにかく、国会議員先生方は、常に嘘とご一緒しておられるのでは無いか、と疑われる様な事態がままおありの様に見受けられはしませんか。

巡礼のお遍路さんは、一人で歩いても、弘法大師様と常に一緒、同行二人とか。国会議員先生のご同行相手は、はてはて・・・ ?

だから、この様な状態と見受けられる場合が多いので、国民による政治家不信は、強まる一方なのでは無いでしょうか。

減税するとか、給付金を出すとか、耳触りの良い事、目先に人参をぶら下げられても、国民は、おいそれとは、食いつかない事態に陥っている様な気がしますね。

内閣及び与党の支持率の低下が、これを如実に示していると思われますね。

支持率の低いのは、国会議員先生に対する信頼度の低さなのが、明らかですね。どうしてと問われれば、嘘を吐くから、信用できないから、と言う人間性不信に尽きるのでは御座いませんかと、思いたくなるのですよ。

子供の頃に、よく「嘘吐きは泥棒の始まり」と言う教訓にお目にかかりましたなー。悪さをして、親に見つかり、ごまかそうと嘘を吐くと、直ぐに見抜かれて「嘘吐きは泥棒の始まり。ゴツーン!」と来るのが常でしたね。今では、ゴツーンはダメでしょうがね。

これが怒られる方の子供にとっては、言葉で注意されるより、ゴツーン一発の方が歓迎されていたりしましたな。正座させられて、言葉で、ネチネチと長い時間お説教されると、子供にとっては、こっちの方がしんどいのですよ。それよりも、一瞬のゴツーン一発で釈放され、さっさと遊びに出かける方が、よほど良かったりしたものですよ。現在は、ゴツーンは理由を問わず全面禁止ですからね。今の子供は、否応なしに注意、お説教に耐えなくてはなりませんよ。

これも、度を越す注意・説教は、パワハラとなるのでしょうねー。「度を越す」の「度」の程度が問題となるのでしょうが。どのあたりの「度」が、適性の「度」なのか、難しさが御座いますなー。現在は、とにかく「パワハラだー」、が頻発していますからね。君子危うきに近寄らずで、指示、注意の手抜きが多くなっている現実なのでは、と言う気がしないでも御座いませんな。

ところで、どうして国会議員の先生は、この「嘘吐きは泥棒の始まり」の教訓をコロッと忘れ去ってしまうのですかね。

世襲議員先生が多くいらっしゃいますが、ひょっとして世襲議員先生のご家庭では、この様な教訓的教育はご法度なのでしょうかね。

国会議員の先生のご家庭では、それはそれなりに、そうではない御家庭と異なり、なかなか大変なところがお有りな事とお察し致しますがね。

国会議員のお父さん・お母さん、あるいはおじいちゃん・おばあちゃんが、何かの不正を起こして嘘をつき、メデァで色々と報道しきりの時、御家庭で、お父さん・お母さんあるいはおじいちゃん・おばあちゃんは嘘をついたの ? と我が子、あるいは孫に問われたら、お父さん・お母さんは、あるいはおじいちゃん・おばあちゃんはどうしましょう。

お父さん・お母さんあるいはおじいちゃん・おばあちゃんは、お国のために一所懸命働いているのですよ、と諭した場合、お子さん、あるいはお孫さんは、ひょっとして「嘘を吐く事は、お国のためになる事」と了解してしまったらどうします。この子らが成長して、二世議員となったらどうでしょうか。これは中々難儀な事態発生ですよ。どうします。

まー、上記は笑い話ですが、要するに嘘も方便と言われる場合も御座いますが、嘘はヤッパリいけませんなー。信用をなくしますから。

 

「嘘吐きは泥棒の始まり!」と言う、今時、殆ど聞くことのなくなった教訓をもって、今回の結びと致します。

お疲れ様でした。

お付き合い、どうも有難うこざいました。

お後がよろしいで。

 

《停念堂閑記》155

《停念堂閑記》155

 

「停念堂寄席」」92

  

 

嘘吐き」

 

 

ようこそ、「停念堂閑記」へ。よくお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

早速、恐縮で御座いますが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの、底、奥行きの浅い、要するにマヌケな話で御座いますので、あまり期待はなさらないで下さいませ。

しかし、多少の取り柄もございますよ。それは、決して深刻にならないところです。夜、眠れなくなったりしませんからね。

すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

ただし、生真面目 ? なところもあるのですよ。

ホンマかいな。どこが、真面目なんや。

たとえトンマなフザケタ話でも、真面目に取り組まなくてはいけませんよ。信用に関わりますからね。支持率が低下すると、大変ですからね。 

ここでの話は、なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。この目的さえ、しっかりと認識しておけば、万事OKで御座いますよ。

あるお方が申しておられましたよ。

ヒマ潰しにやることは、須(すべか)らくアホくさいものだと。

毎度毎度の《停念堂閑記》がそれを証明しておりますからね。 

さて、定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。これがリタイア後の最大の課題ですからね。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

どうです。この生真面目な姿勢。どこを切っても生真面目の金太郎飴。この真摯な生き方こそ、リタイア後のあるべき姿とはお思いになりませんか。

アホかーってですか。ご指摘の通りで御座います。

それでは、参ります。

打倒! ヒマーッ!

A A O!  エイエイ オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声でんなー。

情けねー! トホホ。

 

さて、今回は、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う基本を踏まえて、「嘘吐き」の話をしようと思うのですよ。

どうです。今回のテーマは ?

文句無くアホ臭いでしょう。これでも、今回は何で行こうかと、結構悩むのですよ。とにかく、根が生真面目ですからね。この生真面目さで、どれほど損したことか。

皮肉なものですよ。渡る世間は、とにかく真面目 = 損で出来ているところがあるようですからね。嘘では御座いませんよ。

と聞いただけで、もう、今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思ったでしょう。

そうです、そのようにお思いになられた方は、大正解。これ以上こんなのと付き合っても、碌(ろく)なことは御座いませんよ。

これは本当ですよ。嘘では御座いませんよ。その場凌ぎの政治家先生の出任せとは、根本的に違いますから。

今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思われたお方は、直ちにパソコンの電源をお切りになって下さいませ。

ただし、スマホに切り替えるのは有りですよ。

あのー、スマホでも見れますから。本当ですよ。嘘は申しません。

それじゃー意味ねーだろうだって。その通り。これは、無意味です。私は、嘘は申しておりません。

とは言いましても、私だって、たまには、嘘を吐くことは御座いますよ。たまーにですよ。

たまーに。本当の事も言いますがね。

噓を吐くのは、せいぜい、1日に、二、三回、いや四、五回くらいなものですかね。まー、常識の範囲内で御座いますですよ。

なんてね。これが真っ赤な嘘なんですよ。

だいたい、嘘を吐く為には、そもそも何方(どなた)か吐く相手が居なくては成立しないのですよ。ところが、私ゃー何方とも逢わず、人との会話のない日が殆どで、嘘を吐きたくても、吐く相手が居ない日常なのですよ。

したがって、元に戻りますが、私ゃー嘘を吐きません。これは、嘘では御座いませんよ。ホンマ。嘘を吐ける環境にないのですよ。

しかし、嘘を吐くと言う事に関しては、いっぱいネタが有りますよ。有り余って、どこから取っ掛かれば良いかに、迷っちゃうくらいですよ。

ただね。隣のオヤジが、奥さんに仕事へ行くと嘘を吐いて、競馬に行ってたのよ。なんて言う嘘話は、ゴメンですよ。なんら面白くないですから。こんなことは、よくある事だし、当事者以外の者にとっては、こんな話を聞いたって、あーそうかいで終わってしまう、何とも面白味の無い、発展性の無いつまらねーえ話なんですよ。

こんなのだったら、この間、ウチの飼い犬に蚤がついちゃったので、とってやったところ、この蚤がなんと屁をこいただよ。これがくせーのなんのって、と言ったすっとぼけた嘘話の方が、よほど面白いでしょ。

けんど、そもそも、蚤と言う奴は、屁をこくものなのかねー。なんて下らない事を考えてはいけませんよ。蚤で止まらなくなっちまいますからね。蚊はどうかな。虻はどうだ。トンボは、蝶々は、蜂は、アリンコは、バッタは、・・・と止まらなくなっちまいますからね。

そうなった時には、カメムシに登場してもらわなくてはね。カメムシなら四の五の言わず、屁の塊みたいなものですからね。ただし、カメムシの匂いが屁のせいかどうかは、存じませんがね。

あっ、思い出した。屁の話をしている場合では御座いませんよ。今回は、「嘘吐き」の話が本題でした。嘘吐きの話しをすると言っておきながら、屁の話に終始してしまったら、それこそ嘘をついた事になっちまいますからね。危なく、嘘吐きになってしまうところでしたね。気をつけねば。

この頃は、モー直ぐに度忘れをしてしまうのですよ。ちょっと、面白いネタを思いつくと、それまで考えていた事を、ころっと忘れちゃうのですよ。本当に困っちゃうのですよ。これは、嘘では御座いませんよ。本当の話ですよ。気を付けなければね。あぶねー、あぶねー。

さて、前回は、岸田総理に向けて爆発物が投げつけられた事件について取り上げました。総理はSPに守られて危険場所からいち早く避難され、大事に至らず、何よりでした。

ところがですね。ここに若干の失望があるのですよ。

と言うのはですね。総理は、常々、演説やインタビューの時などに、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と言う発言を連発されているのですよ。きっと、総理の政治信条なのでしょうね。大変頼もしく、立派な事ですね。

前々総理の安倍さんが、北朝鮮がロケットの発射実験をすると言い出した時、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と発言されていたのを覚えております。次の菅総理は、あまりこの発言をされた記憶が御座いませんね。度忘れですかね。

これが、岸田現総理になって、復活したのですよ。時々この発言をなさる様になりましたね。

すなわち、この発言が、どう言う事になるかと言うと、わかり良く噛み砕いて言うと、総理は常日頃、「国民の生命は私が守る」と言っていたのですよ。ところが爆発物を投げつけられた時、そこに集まっていた群衆(国民)も生命の危険にさらされていたわけですよ。ところが、この群衆の生命はさて置いて、総理ご自身はサッサとSPに誘導されて、安全な所へ避難なさったのですよ。

あれーっ、国民の生命を守ってくれる筈ではなかったっけー。と言うことになっちゃうのですよ。

あのように、突然爆発物を投げつけられた場合、総理がSPに助けられて避難するのは、全く当たり前の事ですよね。誰だって、そうすると思いますよ。大事にならなくて本当によかったですね。だから、総理が避難した事を咎める人はいない、と思います。

ところが、視点を変えると、総理が常日頃おっしゃっておられた同氏の政治信条と思しきものと、現実の行動は、全く異なっていたと言う現象が発生してしまったのですよ。

分かり良く言うと、今回のテーマからすれば、総理は常日頃平然と嘘をついていた、と言うことになっちゃうのですよ。

一般国民は、総理が「私は、国民の生命と財産を守る」とおっしゃられても、それを鵜呑みにしている人は、まず、めったにおられないと思われますし、守られたと言う実感を受けた経験をお持ちの方は、まず極めて稀少と思われるような気がしますよね。つまり、政治家先生お決まりのお題目程度にしか聞こえない、要するに、大事な事として記憶にも残らない程度のものの様に感じられますよね。

ところが、普段は、気にも止まらぬ事なのですが、これが、何かの折に、ヒョコッと思い出したりする事があるのですよ。

つくづく残念に思うのですよ。

爆発物を投げつけられて、総理がSPに誘導されて避難したあの引き際に、「爆発物だ。皆さん退避してください。」の総理の一声があったらならばなー、と思うのですよ。

そうすれば、総理の「国民の生命は守る」と言う、常日頃の発言は、嘘では無かった。自身の危険を顧みず、国民の生命を案じた、それはそれは立派な政治家となれたのですよ。ところが、それが無かったために、単なるお題目、嘘ついてた、と言う事になってしまったのですよね。つくづく残念ですね。

はたまた、今度は、集まった税金に余裕が出たので、これを国民に返還する、と言い切ったのですよ。岸田総理。

本当ですか。また嘘では無いの? となるわけですよ。

ところが直ぐに、税務を担当している財務省が、そんな余っている税金は御座いません。国民に一度集めた税を返すとなれば、その原資は御座いません。返還すると言うのなら、そのための赤字国債でも発行しなくてはならない事情にありますよ。と来たもんですよ。

ほらほら、またもや、やっぱり嘘かよ、となってしまうのですよ。

そもそも、集まった税金に余裕が発生したから、国民に返還する、と言う発想がおかしく御座いませんか。政府は連年予算が不足していると言って、赤字国債を発行し続けている事態では御座いませんか。積もり積もって、モー、どれ程の額になっているのかも、思い出せませんよ。

これも振り返ってみれば、1965(昭和40)年11月19日、戦後初の赤字国債発行が閣議決定されましたね。佐藤栄作内閣の時でした。凄いですね。ノーベル平和賞を受賞されたお方の内閣で御座いますよ。この時に、赤字国債を発行して、歳出の一時凌ぎに踏み切った、と言う次第でしたね。初の東京オリンピック後の財政難の一時凌ぎに、赤字国債の発行と言う打ち出の小槌の使用を始めたのですね。

 その時、赤字国債は後世にツケを回すわ、子孫にツケを回すのは如何なものか、と言う意見がしきりでしたが、これは今回限りで、前例にしない、と言う様な政府の答弁がなされていた様な記憶が御座いますな。

ところが、今となっては、そんな事は何処吹く風、真っ赤な嘘。赤字国債の発行は、毎年当たり前。国会議員先生の中には、赤字国債による借金は、将来にわたっても、返却する必要はない、と言う様なことをシャーシャーと言ってのける者も現れ、選挙の前には、打ち出の小槌を振りかざしては、ガッポガッポと赤字国債を発行して、気前良げに大盤振る舞い、集票活動に専念するのが国会議員先生の常套手段となってますからね。と言ったら嘘でしょうか ?  嘘かどうかは、国会議員先生の常日頃の言動を見ていれば、おおよそは判断がつきますね。

現在、国会、メディア、巷で専ら話題になっているのは、自民党各派閥の政治資金に関わる不正についてですね。要するに、政治資金を得た場合には、その決まりに従って、会計を明朗、透明にしておかなくてはならないところを、ごまかしていた事が明るみに出てしまった、と言う事ですな。これが、自民党の最も有力各派閥で行われていたと言うのですから、国民からすれば、国会議員の先生らは、揃って不正を行い、嘘を吐いているんやろーなー、と言う事にならざるを得ないのでは無いのかなー。と言う気がしてくるのですよ。

総理は、国会の答弁で、自分の派閥では指摘を受けたので、直ちに調査しが、問題は無かった、と堂々とされていましたね。こうなっては、仕方がないので、派閥から離れる、と言ってますね。

他の派閥については、まだ、どうなっているのか小生は確認しておりません。

以前に、「その点については、記憶に御座いません。」と言うのが流行したことがありましたが、今は「係争中に付き、その件についての発言を控えさせて頂く。」と言うのが流行しそうですね。

何をすっとぼけた事を言ってるんですかね。

裁判中に、被告当人が、犯罪を犯していなければ、自身の潔白を主張するのは、当然のこととして、当たり前に行われますよね。これを、係争中なので、発言を控ますなどと言ったら、モー笑っちゃいますよね。

もしも、被疑者に僅かの良心があるならば、「その件につて本当の事を言うと、私は有罪になるかも知れないので、その件についての発言は、控えたい。」と言えば、嘘を吐いた事にはなりませんよ。

この自民党各派閥の政治資金事件については、特捜がどこまで頑張るかに掛かっているようですね。

この種の事実関係を克明に明らかにする事、その事実証拠を掴むのは、極めて難しい事に属しますよね。

ドラエモンのタイムマシーンか何処でもドアーで、不正が行われている現場に行ければ、証拠が掴めるでしょうが、このようなことは現実にはねー。ナカナカですよね。この種の事実関係の証拠を掴むのは、とにかく困難を伴う訳ですよ。当事者の自白が有力な証拠となる得るでしょうが、当事者が嘘を吐くことは、達人中の達人ですからね。本当の事は、言いませんよね。

たとえ不正な点が見つかったとしても、おそらく実態に沿って、会計帳簿を正しく書き改めた、と言う程度の事で、幕引きとなるのでは無いのかと、懸念しております。特捜の方々、しっかり調べて下さいね。国民は、もはや特捜以外に、期待する以外にないのですから。

悪さをしても、訂正すれば、万事チャラ、無かった事になるのでしょうかね。

子供の頃、「御免で済めば、警察はいらねー。」なんて、よく言いましたよ。

国会議員先生のなさる事は、一皮剥けば、ひょっとして嘘ばかり、と疑われても仕方の無い事態なのでは ? と疑う向きが多いのでは、と想像するに難くありませんなー。

とにかく、国会議員先生方は、常に嘘とご一緒しておられるのでは無いか、と疑われる様な事態がままおありの様に見受けられはしませんか。

巡礼のお遍路さんは、一人で歩いても、弘法大師様と常に一緒、同行二人とか。国会議員先生のご同行相手は、はてはて・・・ ?

だから、この様な状態と見受けられる場合が多いので、国民による政治家不信は、強まる一方なのでは無いでしょうか。

減税するとか、給付金を出すとか、耳触りの良い事、目先に人参をぶら下げられても、国民は、おいそれとは、食いつかない事態に陥っている様な気がしますね。

内閣及び与党の支持率の低下が、これを如実に示していると思われますね。

支持率の低いのは、国会議員先生に対する信頼度の低さなのが、明らかですね。どうしてと問われれば、嘘を吐くから、信用できないから、と言う人間性不信に尽きるのでは御座いませんかと、思いたくなるのですよ。

子供の頃に、よく「嘘吐きは泥棒の始まり」と言う教訓にお目にかかりましたなー。悪さをして、親に見つかり、ごまかそうと嘘を吐くと、直ぐに見抜かれて「嘘吐きは泥棒の始まり。ゴツーン!」と来るのが常でしたね。今では、ゴツーンはダメでしょうがね。

これが怒られる方の子供にとっては、言葉で注意されるより、ゴツーン一発の方が歓迎されていたりしましたな。正座させられて、言葉で、ネチネチと長い時間お説教されると、子供にとっては、こっちの方がしんどいのですよ。それよりも、一瞬のゴツーン一発で釈放され、さっさと遊びに出かける方が、よほど良かったりしたものですよ。現在は、ゴツーンは理由を問わず全面禁止ですからね。今の子供は、否応なしに注意、お説教に耐えなくてはなりませんよ。

これも、度を越す注意・説教は、パワハラとなるのでしょうねー。「度を越す」の「度」の程度が問題となるのでしょうが。どのあたりの「度」が、適性の「度」なのか、難しさが御座いますなー。現在は、とにかく「パワハラだー」、が頻発していますからね。君子危うきに近寄らずで、指示、注意の手抜きが多くなっている現実なのでは、と言う気がしないでも御座いませんな。

ところで、どうして国会議員の先生は、この「嘘吐きは泥棒の始まり」の教訓をコロッと忘れ去ってしまうのですかね。

世襲議員先生が多くいらっしゃいますが、ひょっとして世襲議員先生のご家庭では、この様な教訓的教育はご法度なのでしょうかね。

国会議員の先生のご家庭では、それはそれなりに、そうではない御家庭と異なり、なかなか大変なところがお有りな事とお察し致しますがね。

国会議員のお父さん・お母さん、あるいはおじいちゃん・おばあちゃんが、何かの不正を起こして嘘をつき、メデァで色々と報道しきりの時、御家庭で、お父さん・お母さんあるいはおじいちゃん・おばあちゃんは嘘をついたの ? と我が子、あるいは孫に問われたら、お父さん・お母さんは、あるいはおじいちゃん・おばあちゃんはどうしましょう。

お父さん・お母さんあるいはおじいちゃん・おばあちゃんは、お国のために一所懸命働いているのですよ、と諭した場合、お子さん、あるいはお孫さんは、ひょっとして「嘘を吐く事は、お国のためになる事」と了解してしまったらどうします。この子らが成長して、二世議員となったらどうでしょうか。これは中々難儀な事態発生ですよ。どうします。

まー、上記は笑い話ですが、要するに嘘も方便と言われる場合も御座いますが、嘘はヤッパリいけませんなー。信用をなくしますから。

 

「嘘吐きは泥棒の始まり!」と言う、今時、殆ど聞くことのなくなった教訓をもって、今回の結びと致します。

お疲れ様でした。

お付き合い、どうも有難うこざいました。

お後がよろしいで。

《停念堂閑記》155

《停念堂閑記》155

 

「停念堂寄席」」92

  

 

嘘吐き」

 

 

ようこそ、「停念堂閑記」へ。よくお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

早速、恐縮で御座いますが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの、底、奥行きの浅い、要するにマヌケな話で御座いますので、あまり期待はなさらないで下さいませ。

しかし、多少の取り柄もございますよ。それは、決して深刻にならないところです。夜、眠れなくなったりしませんからね。

すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

ただし、生真面目 ? なところもあるのですよ。

ホンマかいな。どこが、真面目なんや。

たとえトンマなフザケタ話でも、真面目に取り組まなくてはいけませんよ。信用に関わりますからね。支持率が低下すると、大変ですからね。 

ここでの話は、なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。この目的さえ、しっかりと認識しておけば、万事OKで御座いますよ。

あるお方が申しておられましたよ。

ヒマ潰しにやることは、須(すべか)らくアホくさいものだと。

毎度毎度の《停念堂閑記》がそれを証明しておりますからね。 

さて、定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。これがリタイア後の最大の課題ですからね。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

どうです。この生真面目な姿勢。どこを切っても生真面目の金太郎飴。この真摯な生き方こそ、リタイア後のあるべき姿とはお思いになりませんか。

 それでは、参ります。

打倒! ヒマーッ!

A A O!  エイエイ オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声でんなー。

情けねー! トホホ。

 

さて、今回は、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う基本を踏まえて、

[嘘吐き}の話をしようと思うのですよ。

どうです。今回のテーマは ?

文句無くアホ臭いでしょう。これでも、今回は何で行こうかと、結構悩むのですよ。とにかく、根が生真面目ですからね。この生真面目さで、どれほど損したことか。

皮肉なものですよ。渡る世間は、とにかく真面目 = 損で出来ているようですからね。嘘では御座いませんよ。

と聞いただけで、もう、今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思ったでしょう。

そうです、そのようにお思いになられた方は、大正解。これ以上こんなのと付き合っても、碌(ろく)なことは御座いませんよ。

これは本当ですよ。嘘では御座いませんよ。その場凌ぎの政治家先生の出任せとは、根本的に違いますから。

今回はここまで。読むの止(よ)しだ。と思われたお方は、直ちにパソコンの電源をお切りになって下さいませ。

ただし、スマホに切り替えるのは有りですよ。

あのー、スマホでも見れますから。本当ですよ。嘘は申しません。

それじゃー意味ねーだろうだって。その通り。これは、無意味です。私は、嘘は申しておりません。

とは言いましても、私だって、たまには、嘘を吐くことは御座いますよ。たまーにですよ。たまーに。

せいぜい、1日に、二、三回、いや四、五回くらいなものですかね。まー、常識の範囲で御座いますですよ。

なんてね。これが真っ赤な嘘なんですよ。

だいたい、嘘を吐く為には、そもそも何方(どなた)か吐く相手が居なくては成立しないのですよ。ところが、私ゃー何方とも逢わず、ひととの会話のない日が殆どで、嘘を吐きたくても、吐く相手が居ない日常なのですよ。

したがって、元に戻りますが、私ゃー嘘を吐きません。これは、嘘では御座いませんよ。ホンマ。嘘を吐ける環境にないのですよ。

全く、情けねー状況なのですよ。

しかし、嘘を吐くと言う事に関しては、いっぱいネタが有りますよ。有り余って、どこから取っ掛かれば良いかに、迷っちゃうくらいですよ。

ただね。隣のオヤジが、奥さんに仕事へ行くと嘘を吐いて、競馬に行ってたのよ。なんて言う嘘話は、ゴメンですよ。なんら面白くないですから。こんなことは、よくある事だし、当事者以外の者にとっては、こんな話を聞いたって、あーそうかいで終わってしまう、何とも面白味の無い、発展性のないつまらねーえ話なんですよ。

こんなのだったら、この間、ウチの飼い犬に蚤がついちゃったので、とってやったところ、この蚤がなんと屁をこいただよ。これがくせーのなんのって、と言ったすっとぼけた嘘話の方が、よほど面白いでしょ。

けんど、そもそも、蚤と言う奴は、屁をこくものなのかねー。なんて下らない事を考えてはいけませんよ。蚤で止まらなくなっちまいますからね。蚊はどうかな。虻はどうだ。トンボは、蝶々は、蜂は、アリンコは、バッタは、・・・と止まらなくなっちまいますからね。

そうなった時には、カメムシに登場してもらわなくてはね。カメムシなら四の五の言わず、屁の塊みたいなものですからね。ただし、カメムシの匂いが屁のせいかどうかは、存じませんがね。

あっ、思い出した。屁の話をしている場合では御座いませんよ。今回は、嘘吐きの話が本題でした。嘘吐きの話しをすると言っておきながら、屁の話に終始してしまったら、それこそ嘘をついた事になっちまいますからね。危なく、嘘吐きになってしまうところでしたね。気をつけねば。

この頃は、もー直ぐに度忘れをしてしまうのですよ。ちょっと、面白いネタを思いつくと、それまで考えていた事を、ころっと忘れちゃうのですよ。本当に困っちゃうのですよ。これは、嘘では御座いませんよ。本当の話ですよ。気を付けなければね。あぶねー、あぶねー。

さて、前回は、岸田総理に向けて爆発物が投げつけられた事件について取り上げました。総理はSPに守られて危険場所からいち早く避難され、大事に至らず、何よりでした。

ところがですね。ここに若干の失望があるのですよ。

と言うのはですね。総理は、常々、演説やインタビューの時などに、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と言う発言を連発されているのですよ。きっと、総理の政治信条なのでしょうね。大変頼もしく、立派な事ですね。

前々総理の安倍さんが、北朝鮮がロケットの発射実験をすると言い出した時、決まって「私は、国民の生命と財産を守る」と発言されていたのを覚えております。次の菅総理は、あまりこの発言をされた記憶が御座いませんね。度忘れですかね。

これが、岸田現総理になって、復活したのですよ。時々この発言をなさる様になりましたね。

すなわち、この発言が、どう言う事になるかと言うと、わかり良く噛み砕いて言うと、総理は常日頃、「国民の生命は私が守る」と言っていたのですよ。ところが爆発物を投げつけられた時、そこに集まっていた群衆(国民)も生命の危険にさらされていたわけですよ。ところが、この群衆の生命はさて置いて、総理ご自身はサッサとSPに誘導されて、安全な所へ避難なさったのですよ。

あれーっ、国民の生命を守ってくれる筈ではなかったっけー。と言うことになっちゃうのですよ。

あのように、突然爆発物を投げつけられた場合、総理がSPに助けられて避難するのは、全く当たり前の事ですよね。誰だって、そうすると思いますよ。大事にならなくて本当によかったですね。だから、総理が避難した事を咎める人はいない、と思います。

ところが、視点を変えると、総理が常日頃おっしゃっておられた同氏の政治信条と思しきものと、現実の行動は、全く異なっていたと言う現象が発生してしまったのですよ。

分かり良く言うと、今回のテーマからすれば、総理は常日頃平然と嘘をついていた、と言うことになっちゃうのですよ。

一般国民は、総理が「私は、国民の生命と財産を守る」とおっしゃられても、それを鵜呑みにしている人は、まず、めったにおられないと思われますし、守られたと言う実感を受けた経験をお持ちの方は、まず極めて稀少と思われるような気がしますよね。つまり、政治家先生お決まりのお題目程度にしか聞こえない、要するに、大事な事として記憶にも残らない程度のものの様に感じられますよね。

ところが、普段は、気にも止まらぬ事なのですが、これが、何かの折に、ヒョコッと思い出したりする事があるのですよ。

つくづく残念に思うのですよ。

爆発物を投げつけられて、総理がSPに誘導されて避難したあの引き際に、「爆発物だ。皆さん退避してください。」の総理の一言があったらならばなー、と思うのですよ。

そうすれば、総理の「国民の生命は守る」と言う、常日頃の発言は、嘘では無かった。自身の危険を顧みず、国民の生命を案じた、それはそれは立派な政治家となれたのですよ。ところが、それが無かったために、単なるお題目、嘘ついてた、と言う事になってしまったのですよね。つくづく残念ですね。

はたまた、今度は、集まった税金に余裕が出たので、これを国民に返還する、と言い切ったのですよ。岸田総理。

本当ですか。また嘘では無いの? となるわけですよ。

ところが直ぐに、税務を担当している財務省が、そんな余っている税金は御座いません。国民に一度集めた税を返すとなれば、その原資は御座いません。返還すると言うのなら、そのための赤字国債でも発行しなくてはならない事情にありますよ。と来たもんですよ。

ほらほら、またもや、やっぱり嘘かよ、となってしまうのですよ。

そもそも、集まった税金に余裕が発生したから、国民に返還する、と言う発想がおかしく御座いませんか。政府は連年予算が不足していると言って、赤字国債を発行し続けている事態では御座いませんか。積もり積もって、モー、どれ程の額になっているのかも、思い出せませんよ。

これも振り返ってみれば、1965(昭和40)年11月19日、戦後初の赤字国債発行が閣議決定されましたね。佐藤栄作内閣の時でした。凄いですね。ノーベル平和賞を受賞されたお方の内閣で御座いますよ。この時に、赤字国債を発行して、歳出の一時凌ぎに踏み切った、と言う次第でしたね。初の東京オリンピック後の財政難の一時凌ぎに、赤字国債の発行と言う打ち出の小槌の使用を始めたのですね。

 その時、赤字国債は後世にツケを回すわ、子孫にツケを回すのは如何なものか、と言う意見がしきりでしたが、これは今回限りで、前例にしない、と言う様な政府の答弁がなされていた様な記憶が御座いますな。

ところが、今となっては、そんな事は何処吹く風、真っ赤な嘘。赤字国債の発行は、毎年当たり前。国会議員先生の中には、赤字国債による借金は、将来にわたっても、返却する必要はない、と言う様なことをシャーシャーと言ってのける者も現れ、選挙の前には、打ち出の小槌を振りかざしては、ガッポガッポと赤字国債を発行して、気前良げに大盤振る舞い、集票活動に専念するのが国会議員先生の常套手段となってますからね。と言ったら嘘でしょうか ?  嘘かどうかは、国会議員先生の常日頃の言動を見ていれば、おおよそは判断がつきますね。

現在、メディア、巷で専ら話題になっているのは、自民党各派閥の政治資金に関わる不正についてですね。要するに、政治資金を得た場合には、その決まりに従って、会計を明朗、透明にしておかなくてはならないところを、ごまかしていた事が明るみに出てしまった、と言う事ですな。これが、自民党の最も有力各派閥で行われていたと言うのですから、国民からすれば、国会議員の先生らは、揃って嘘吐きなんやろーな、と言う事にならざるを得ないのでは無いのかなー。と言う気がしてくるのですよ。

総理は、国会の答弁で、自分の派閥では指摘を受けたので、直ちに調査しが、問題は無かった、と堂々とされていましたね。

他の派閥については、まだ、どうなっているのか小生は確認しておりません。

たとえ不正な点が見つかったとしても、おそらく実態に沿って、正しく改めた、と言う程度の事で、幕引きとなるのでは無いのかと、懸念しております。特捜の方々、しっかり調べて下さいよ。

悪さをしても、訂正すれば、万事チャラ、無かった事になるのでしょうかね。

子供の頃、「御免で済めば、警察はいらねー。」なんて、よく言いましたよ。

国会議員先生のなさる事は、一皮剥けば、ひょっとして嘘ばかり、と疑われても仕方の無い事態なのでは ? と疑う向きが多いのでは、と想像するに難くありませんなー。

とにかく、国会議員先生方は、常に嘘とご一緒しておられるのでは無いか、と疑われる様な事態がままおありの様に見受けられはしませんか。お遍路さんは、一人で歩いても、弘法大師様と常に一緒、同行二人とか。国会議員先生のご同行相手は、はてはて・・・ ?

だから、この様な状態と見受けられる場合が多いので、国民による政治不信は、強まる一方なのでは無いでしょうか。

減税するとか、給付金を出すとか、耳触りの良い事、目先に人参をぶら下げられても、国民は、おいそれとは、食いつかない事態に陥っている様な気がしますね。

内閣及び与党の支持率の低下が、これを如実に示していると思われますね。

支持率の低いのは、国会議員先生に対する信頼度の低さなのが、明らかですね。どうしてと問われれば、嘘を吐くから、信用できないから、と言う人間性不信に尽きるのでは御座いませんかと、思いたくなるのですよ。

子供の頃に、よく「嘘吐きは泥棒の始まり」と言う教訓にお目にかかりましたなー。悪さをして、親に見つかり、ごまかそうと嘘を吐くと、直ぐに見抜かれて「嘘吐きは泥棒の始まり。ゴツーン!」と来るのが常でしたね。今では、ゴツーンはダメでしょうがね。

これが怒られる方の子供にとっては、言葉で注意されるより、ゴツーン一発の方が歓迎されていたりしましたな。言葉で、ネチネチと長い時間説教されるとと、子供にとっては、こっちの方がしんどいのですよ。それよりも、一瞬のゴツーン一発で釈放された方が、よほど良かったりしたものですよ。現在は、ゴツーンは理由を問わず全面禁止ですからね。今の子供は、否応なしにネチネチ注意、お説教に耐えなくてはなりませんよ。

これも、度を越す説教はパワハラとなるのでしょうねー。現在は、とにかくパワハラが流行ってますからね。

ところで、どうして国会議員の先生は、この「嘘吐きは泥棒の始まり」の教訓をコロッと忘れ去ってしまうのですかね。

世襲議員先生が多くいらっしゃいますが、ひょっとして世襲議員先生のご家庭では、この様な教訓的教育はご法度なのでしょうかね。

国会議員の先生のご家庭では、それはそれなりになかなか大変なところがお有りな事とお察し致しますがね。

国会議員のお父さんが、何かの不都合を起こして嘘をつき、メデァで色々と報道しきりの時、御家庭で、お父さんは嘘をついたの ? と我が子に問われたら、お母さんはどうしましょう。

お父さんは、お国のために一所懸命働いているのですよ、と諭した場合、お子さんは、ひょっとして「嘘を吐く事は、お国のためになる事」と了解してしまったらどうします。この子が成長して、二世議員となったらどうでしょうか。これはなかなか難儀な事態発生ですよ。どうします。

まー、上記は笑い話ですが、要するに嘘も方便と言いつつも、嘘はヤッパリいけませんなー。信用をなくしますから。

 

「嘘吐きは泥棒の始まり!」と言う、今時、殆ど聞くことのなくなった教訓をもって、今回の結びと致します。

お疲れ様でした。

お付き合い、どうも有難うこざいました。

《停念堂閑記》155

《停念堂閑記》155

 

「停念堂寄席」」92

  

 

先生方の洞察力は ? 」

 

 

ようこそ、「停念堂閑記」へ。よくお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

早速、恐縮で御座いますが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの、底、奥行きの浅い、要するにマヌケな話で御座います。

しかし、取り柄もございますよ。決して深刻にならないところです。夜、眠れなくなったりしませんからね。

すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。この目的さえ、しっかりと認識しておけば、万事OKで御座いますよ。

あるお方が申しておられましたよ。

ヒマ潰しにやることは、須(すべか)らくアホくさいものだと。

毎度毎度の《停念堂閑記》がそれを証明しておりますからね。 

さて、定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。これがリタイア後の最大の課題ですからね。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒! ヒマーッ!

A A O!  エイエイ オー!

ヒマ潰しとは申せ、些か次元の低い、掛け声でんなー。

情けねー! トホホ。

   

ようこそお越し下さいました。

お暑う御座います。まだ、7月に入ったばかりなのに、すっかりカキ氷のシーズン到来ですな。私らの子供の頃は、カキ氷と言えば、赤いシロップのイチゴが一般的で、値段も手頃で、子供の小遣いで事足りましたな。

これが、近年は、昔とはど偉く様変わりしまして、物凄く豪華になってきているので、驚きますなー。名前まで変わって、フラッペなんと言いますのですよ。

まずは、使用する氷が違う様ですよ。私の子供の頃は、ザッと70年ほど以前は、あまりカキ氷の氷自体には、今ほどの拘りはなかったと思いますね。田舎の故郷では、ほとんど、氷の味にあれこれ理屈を並べる事な無かった様に記憶しますな。どこぞの池で作られた天然氷だとか、どこぞの製氷屋さんで作られた氷だとか、ほとんど気にしてはいなかったと思いますね。

なにせ、育ったところが、田んぼと畑と周囲は山と言う環境でしたから、カキ氷などに御目に掛かる事自体、めったにありませんでしたからね。夏休み、学校で集団で海水浴に行くイベントがありまして、海水浴場に行くと、カキ氷に巡り会えましたね。

普段は、カキ氷などには縁がなく、冷たいものと言えば、専らアイスキャンデーでしたね。割り箸が刺さったミルク氷の棒でしたね。1本5円でしたよ。

10歳にまだなっていなかった頃ですね。姉にくっついて隣町の小学校の運動会見物に行ったのですよ。当時、田舎では運動会と言うと一大イベントでしたからね。隣の学校の運動会を見に行く習慣があったのですよ。隣町には、母親の実家がありましたので、昼にはそこにお邪魔して、運動会のご馳走にありついたりしましてね。

この時は、もの凄く暑い日でね。グランドにはあまり日陰がなかったので、もう、汗だくでしたね。当時は、熱中症とは言わず、日射病と言っていた様に記憶していますが、まさに、日射病続出の様な状況の日でしたね。

田舎の運動会には、屋台の出店が出ていましてね。小規模ながら、お祭りさながらの様相を呈していたのですよ。その中に、アイスキャンデー屋さんがあったのですよ。

ところが、小遣いは、親から預かって、姉が管理していて、私自身は持っていなかったのですよ。

とにかく暑くて暑くて汗だくでしたからね。これはもーアイスキャンデー以外にないわけですよ。それでもって、姉にせっついて、のべつ暇なしに、アイスキャンデーを買ってもらいましたね。時間的には、運動会見物は、せいぜい4時間弱と言う程度だったと思いますが、この間に、なんと10本を超えるアイスキャンデーをやっつけたのですよ。どうです。かなり頑張ったでしょう。当然のこととして、これで最後だからね、と言う姉の小言を尻目に、実に、執拗な弛まない努力によって、アイスキャンデーをゲットし、見事、日射病を撃退したのですよ。やっぱり努力に勝るものは御座いませんな。あっぱれでした。

が、姉には、そりゃーもーしこたま怒られましたね。もー、絶対に連れて来ない、と宣言されてしまいましたよ。まー、当たり前といえば、当たり前のことですわなー。

これが、昨今の氷事情はと言いますと、さすがに割り箸アイスキャンデーには、お目にかかれなくなりましたね。木製の平たい短い代物に代わり、たまにアタリなんて出たりしますが。

波図柄の上に赤字の “氷” の旗もあまり見かけなくなましたね。

今のかき氷屋さんは、小洒落たカフェ風のお店が多いのですかね。年寄り、子供だけでは、ふらっとは入りづらい環境となっている様子ですなー。フラッペと言うくせにね。

なんたって、かき氷の風体が一変してますからね。以前は、イチゴ、メロン、ブルーハワイと言ったところが一般的でしたが、この頃のは、なんだか聞いたことも無いようなフルーツなどがトッピングされていたりして、アイスクリームに本体が奪われていたり、豪勢になっている様ですなー。当然、お値段の方もね。それなりに豪勢になっているようですなー。テレビでは、2000円、さらに3000円台のも珍しく無いような事態も放映されていたりしますなー。こうなれば、暑いなー、かき氷でも食うか、と言う気楽さがなくなりなすよね。かなり根性を入れて、かからなくてはね。とかく、年寄はグチが多くなりましてね。申し訳御座いませんね。

もっとも、かき氷に限らす、豪華なトッピングは、他の食べ物にも、流行っているようですなー。

とにかく、何にでも、マヨネーズをかければ、と言うマヨラーと呼ばれる方もおいでのようですが。

麺類では、冷しラーメンのトッピングも賑やかのようですが、ソーメンがなかなかトッピングには向いているようですね。イチゴが添えられている程度なら可愛いもので、ソーメンの味自体に大きく影響しないでしようが、なんでもかでも載っければいいと言う訳には、行かないでしょうね。フルーツ盛りだかサラダだか、分からなくなってますからね。

その点、ソバは、トッピングには不利ですかね。イチゴ、リンゴ、ナシ、ブドウ、ミカン、パイナップルなどなど山盛りのザルソバとなると、ちょっとねー。まー、好きずきでしょうから、とやかくは申しませんが。

 

さて、何時ものように下らない事を、ダラダラとやっていますが、実は、今日のテーマ ? は、と言うほどの大袈裟な事は御座いませんが、アイスキャンデーでも、かき氷でも、ソーメンでもソバでも御座いません。言うならば、人の癖(クセ)とでも申せば、判り良いかも知れませんね。

どんな癖かと言いますと、言ってみれば、個々人の思考の在り方についてとでも申せば、判り良いのではと思われますがね。とは、申せ、漠然としていて判り難いかと、思われますが、大袈裟なことでは御座いませんよ。単なる軽い世間話、今流に申しますと、まさに、つまらねー、ネット話と言うことになりますかね。

さて、より分かり良く更に対象を絞りますと、ここでは、要は、個々人が生きていく上で、過去に考えの重点を置いているか、それとも今現在に重点を置いているか、それとも未来に重点を置くか、この個々人の思考の傾向について見ていこう、と言うことですよ。

と言うと、なかなかなものか、とお思いでしょうが、どっこいそうはいきませんよ。要は、与太話で御ざんす。

人それぞれ物事を考え、判断していく時に、過去にこだわる癖があるか、それとも、もっぱら今現在の目先の事ばかり気にしている癖があるか、それとも、未来を想定して物事に取り組む癖があるか、と言う様な事について、愚考してみよう、と言う魂胆なのですよ。

 

この頃は、ようやく「新コロナ」関係の規制が緩くなって、これまでじっと我慢の人達が、一気にあちらこちらにお出ましになりまして、あちこち物凄く賑わってますなー。3年余りの自粛の反動なのでしょうね。生き甲斐を何処に求めているかは、個々人によって異なる事は、申すまでも御座いませんが、多くの方々は、日々の生活においては、面白、楽しくと言う点に、重きを置いているのでは無いのでしょうかね。この面白い、楽しいと言う事柄は、実に色々だと思われますが、例えば、旅行が一般的に人気がある様ですね。いい景色、珍しい建物、史跡などなど、行った事がないところで、新しい経験をすることが、実に面白い、楽しいと言うことになるのでしょうな。

そこへ、テレビ局の方が、カメラ・マイクを引き連れて取材に現れますな。そして、大抵、この度の旅行の目的は ? てな事に話を向ける事が多いですな。そうすると、色々ですが、「想い出づくりに」とお応えになられる方が、実に多く見受けられるのですよ。ウソだと思ったら、今度、テレビでこんな取材の場面に、気を付けてみて下さいよ。ソファーに寝そべって、煎餅を齧って、お茶をすすりながらで結構ですから。

手間暇かけて、金かけて、高速道路の渋滞のビリにくっ付き、食べ物屋の長蛇の列のビリにくっ付き、ぶつかりながら人混みを掻き分けて、楽しんでいる目的は、「想い出づくり」なのですよ。なお、人混みを掻き分けなくとも、良いのですよ。人っ子一人見当たらない、田んぼと畑の田舎道で、ボウホヴに茂った雑草を掻き分け掻き分けても、一向に構いませんよ。人それぞれの好みですから、それぞれの楽しみ方についてとやかくは申しませんよ。

 

ところが、ここに今回の話のネタが転がっているのですよ。

そうです。ここに先に言った、個々人が生きていく上で、「過去にこだわる癖があるか、それとも、もっぱら今現在の目先の事ばかり気にしている癖があるか、それとも、未来を想定して物事に取り組む癖があるか、この個々人の思考の傾向が現れているのですよ。

そうです。「想い出づくり」に楽しみの重点を据えておられる方は、「過去に考えの重点を置いている方」と言えると思うわけですよ。旅へ出て、綺麗な風景に出会い、大いに感激し、写真に納め、史跡を見て新知識を得て感心したり、食べ物屋さんの長蛇の列を堪え忍んで、ようやくゲットした名物に旨い物なしの名物にありつき、まさに旅を楽しんでいる最中は、その旅にどっぷりと浸かって、その瞬間を楽しみ、大いに満足して、たっぷりと幸せを感じておられると思いますが、その時だけではないのですね。それから何年か時間を経た後のある時に、そっと思い出す、この想い出が、なんとも楽しみなのですよ。このために、「想い出づくり」の旅に出かけるのですから。

このタイプのお方は、実に「過去に考えの重点を置くお方」すなわち「過去重点指向型」のお方と、言えると思うのですよ。もっとも、私の独偏(独断と偏見の略語)ですがね。

 

さて次に、「もっぱら今現在の目先の事ばかり気にしている癖」の独偏(独断と偏見の略語)「目先重点指向型」について、ちょっとだけ見ておく事にしましょうか。

「目先重点指向型」に付いては、もー何にも四の五の申す事は御座いませんな。要するに、現実重視の方ですよ。過ぎ去った過去のことなど、いちいち拘っていられない、また、どうなるか分からない未確定な未来の事などにカマっていられない、今現在が問題なんだよ。と言うタイプですね。

このタイプの方は、きっと一番得をする様ですよ。一緒に食事に行ったりして、ラーメンを注文して、チャーシューは後の楽しみに、なんて、とっておこうものなら、「お前、チャーシュー嫌いか」なんて、いきなりパクッと食べちゃう方ですからね。カレーを頼んでも、はじめにルーばかり食べちゃって、ご飯だけ残ったら、お前まだルー沢山残っているな、少し食べてやるよ、恩ぎせがましく、なんの躊躇いもなく、さらっていっちゃうからね。海鮮丼でも、ウニ、イクラなどは、さっさと食べてしまつて、隣の人の丼に手を出して来ますからね。たまったものでは御座いませんよ。

とにかく、一番美味そうなところを躊躇なくパクパクと行きますからね。勿論、食べ物に限った事では御座いませんよ。社会万般において、とにかく、目先の問題に最も強い関心を持ってらっしゃるお方で御座いますよ。今現在を如何に有意義に過ごすか、と言う点に思考の中心をおいているお方様であります。

次に、未来を想定して物事に取り組む癖がある方についてですね。

独偏(独断と偏見の略語)で、「未来重点指向型」につてですが、これは、言うまでもなく、過ぎ去った過去に拘るよりも、また、現在の目先の問題ばかりに目をやると言う事より、今後の展開に関心の重点を置いて、物事に臨む事を指向している方ですよね。

「目先重点指向型」の方からすると、どうなるか分からない未来の事よりも、今現在目の前で展開されている事に関心を持ち、そこに重点をおいて、物事を考える方が、大切に決まっていると思われるでしょうね。確かに、今を生きている人々は、正に現時点を生きているのですから、現時点に最大の関心がある訳でしょうね。

しかしですね、現時点で物事を考える場合に、どちらかと言うと回顧的な思考によって、物事に取り組もうする場合と、過去は殆ど気にせず、現時点の事情を最優先に、物事に取り組もうする場合がありますね。以前に勤務先である問題について、会議を重ねて意見交換を行っていたところ、甲氏はこれはAだと強烈な意見を述べていたのですが、これが翌日になったら、これは絶対にBだと言い張り出したのですよ。どう言う理由だと問いただしたら、昨日は気が付かなかった事に、新たに気が付いたのだと、と言うのですよ。しかし、昨日今日の問題ではなく、この点については、随分以前から議論し続けていた事だったので、一晩寝たら意見が変わったと言われたのでは、なかなか納得行かない事がございましたな。「過去重点指向型」の方は、まず、この様な事は言い出しませんが、「目先重点指向型」の方は、これまでと異なる事を平然と言い張りますからね。明日になったら、また、異う事を言い出し兼ねないので、信用ならなくなるのですよね。

これに対して、「未来重点指向型」の方は、幾分現実離れした事をでも、想像力豊かに、見通す事を指向するタイプですね。どの様な事を対象にするかは、それぞれによって、異なるでしょうが、このタイプの方には、優れた洞察力が望まれますな。

「目先重点指向型」は実情が目の前にある訳ですから、それを見据えれば事足りる訳ですね。「過去重点指向型」の人は、過去の事実から教訓を引き出して、現実の問題の処理に当たれば良い、と言う事ですね。

これに対して、「未来重点指向型」は将来をどうするか、どうなるかを考えの基礎にして、論理を手掛かりに、より良い未来を指向すると言う事になりますね。ですから、より広い視野を持つ必要がありますね。要するに、より高度な洞察力が必要になる、と言う事ですね。なにせ、いまだ未定の事を現時点で予想しなくてはならないので、なかなか簡単では御座いませんな。洞察力に優れた方でないと不向きですね。

 

ところで、今現在の政治、経済、社会などに目を向けてみますと、どうでしょうね。ここで問題としたいのは、今現在の政治、経済、社会等について、どの様にすれば、皆が安心して、楽しく生活する事が出来るのか、と言う事を専らの仕事としておられるはずの御方々ですよ。手っ取り早く申しますと、国会議員をはじめとする政治家先生の方達ですよ。

この先生方のなさっている事は、と言います、多面に及びますが、実に過去においてやった事の失敗の尻拭いが、とてつもなく多いのですよ。過去に、しっかりと検討せずにやった政策の後始末をどうするか、と言う事が、実に多いのですよ。馬鹿馬鹿しい限りですね。これは結論的に申しますと、政治家先生の大多数が、「目先重点指向型」だと言う事ですよ。いってみれば、選挙対策の目先の事にしか目がいかず、その政策を行えば、将来どうなるのか、と言う側面を殆ど考えない、御粗末を延々と続けているからですよ。短慮の政策は、時期に具合の悪さを呈する事になりますね。

例えば、現在問題となっている少子化の問題、年金問題原発問題、国防問題、食料問題、防災問題、マイナン保険証問題等々、あげればキリが御座いませんな。今も続く「未来重点指向型」の政治家の不足、現議員の洞察力の無さが、恨まれますな。

重要な政策に対する検討が未熟のまま、「目先重点指向型」の議員に押しまくられて、いつも中途半端な議論の末に、重大事案を決めてしまい、すぐに綻びが現れて、あたふたする有様ですね。今現在最も注目されているマイナン保険証問題など、何をやってるんでしょうね。綻びが目立ったら、その部分だけ繕いで誤魔化そうとする。誤魔化しのせいで、また、別の新たな綻びが現れる。全くキリが御座いませんな。

どうしてこうなるのだ、と言うと、誰しも自覚がこざいますなー。きっと、この様な政治家を選挙で当選させた、国民有権者のせいですだよ。何を隠そう殆どが、「目先重点指向型」の有権者が多いからではないでしょうか。難しくて取り組み難いけれども、「未来重点指向型」を指向して欲しいものと、ジジーは嘆くのですだよ。

 

アーア、将来の年金はどうなるのだ !

アーア、人口減少の結果はどーなるのだ !

アーア、原発の後始末をどうするのだ !

・・・・・・・・・・ !!!

アーア、先々は、どうなるの ? ? ? ? ?

「未来重点指向型」の方、何とかしてー。期待しているよー。

 

結局は、ジジーのボヤキと言う落ちで御座います。

どうも御付き合い、有り難う御座いました。

お疲れ様でした。

御後がよろしい様で。

《停念堂閑記》155

《停念堂閑記》156

 

「停念堂寄席」」92

  

 

先生方の洞察力は ? 」

 

 

ようこそ、「停念堂閑記」へ。よくお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

早速、恐縮で御座いますが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの、底、奥行きの浅い、要するにマヌケな話で御座います。

しかし、取り柄もございますよ。決して深刻にならないところです。夜、眠れなくなったりしませんからね。

すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。この目的さえ、しっかりと認識しておけば、万事OKで御座いますよ。

あるお方が申しておられましたよ。

ヒマ潰しにやることは、須(すべか)らくアホくさいものだと。

毎度毎度の《停念堂閑記》がそれを証明しておりますからね。 

さて、定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。これがリタイア後の最大の課題ですからね。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒! ヒマーッ!

A A O!  エイエイ オー!

ヒマ潰しとは申せ、些か次元の低い、掛け声でんなー。

情けねー! トホホ。

   

ようこそお越し下さいました。

お暑う御座います。まだ、7月に入ったばかりなのに、すっかりカキ氷のシーズン到来ですな。私らの子供の頃は、カキ氷と言えば、赤いシロップのイチゴが一般的で、値段も手頃で、子供の小遣いで事足りましたな。

これが、近年は、昔とはど偉く様変わりしまして、物凄く豪華になってきているので、驚きますなー。名前まで変わって、フラッペなんと言いますのですよ。

まずは、使用する氷が違う様ですよ。私の子供の頃は、ザッと70年ほど以前は、あまりカキ氷の氷自体には、今ほどの拘りはなかったと思いますね。田舎の故郷では、ほとんど、氷の味にあれこれ理屈を並べる事な無かった様に記憶しますな。どこぞの池で作られた天然氷だとか、どこぞの製氷屋さんで作られた氷だとか、ほとんど気にしてはいなかったと思いますね。

なにせ、育ったところが、田んぼと畑と周囲は山と言う環境でしたから、カキ氷などに御目に掛かる事自体、めったにありませんでしたからね。夏休み、学校で集団で海水浴に行くイベントがありまして、海水浴場に行くと、カキ氷に巡り会えましたね。

普段は、カキ氷などには縁がなく、冷たいものと言えば、専らアイスキャンデーでしたね。割り箸が刺さったミルク氷の棒でしたね。1本5円でしたよ。

10歳にまだなっていなかった頃ですね。姉にくっついて隣町の小学校の運動会見物に行ったのですよ。当時、田舎では運動会と言うと一大イベントでしたからね。隣の学校の運動会を見に行く習慣があったのですよ。隣町には、母親の実家がありましたので、昼にはそこにお邪魔して、運動会のご馳走にありついたりしましてね。

この時は、もの凄く暑い日でね。グランドにはあまり日陰がなかったので、もう、汗だくでしたね。当時は、熱中症とは言わず、日射病と言っていた様に記憶していますが、まさに、日射病続出の様な状況の日でしたね。

田舎の運動会には、屋台の出店が出ていましてね。小規模ながら、お祭りさながらの様相を呈していたのですよ。その中に、アイスキャンデー屋さんがあったのですよ。

ところが、小遣いは、親から預かって、姉が管理していて、私自身は持っていなかったのですよ。

とにかく暑くて暑くて汗だくでしたからね。これはもーアイスキャンデー以外にないわけですよ。それでもって、姉にせっついて、のべつ暇なしに、アイスキャンデーを買ってもらいましたね。時間的には、運動会見物は、せいぜい4時間弱と言う程度だったと思いますが、この間に、なんと10本を超えるアイスキャンデーをやっつけたのですよ。どうです。かなり頑張ったでしょう。当然のこととして、これで最後だからね、と言う姉の小言を尻目に、実に、執拗な弛まない努力によって、アイスキャンデーをゲットし、見事、日射病を撃退したのですよ。やっぱり努力に勝るものは御座いませんな。あっぱれでした。

が、姉には、そりゃーもーしこたま怒られましたね。もー、絶対に連れて来ない、と宣言されてしまいましたよ。まー、当たり前といえば、当たり前のことですわなー。

これが、昨今の氷事情はと言いますと、さすがに割り箸アイスキャンデーには、お目にかかれなくなりましたね。木製の平たい短い代物に代わり、たまにアタリなんて出たりしますが。

波図柄の上に赤字の “氷” の旗もあまり見かけなくなましたね。

今のかき氷屋さんは、小洒落たカフェ風のお店が多いのですかね。年寄り、子供だけでは、ふらっとは入りづらい環境となっている様子ですなー。フラッペと言うくせにね。

なんたって、かき氷の風体が一変してますからね。以前は、イチゴ、メロン、ブルーハワイと言ったところが一般的でしたが、この頃のは、なんだか聞いたことも無いようなフルーツなどがトッピングされていたりして、アイスクリームに本体が奪われていたり、豪勢になっている様ですなー。当然、お値段の方もね。それなりに豪勢になっているようですなー。テレビでは、2000円、さらに3000円台のも珍しく無いような事態も放映されていたりしますなー。こうなれば、暑いなー、かき氷でも食うか、と言う気楽さがなくなりなすよね。かなり根性を入れて、かからなくてはね。とかく、年寄はグチが多くなりましてね。申し訳御座いませんね。

もっとも、かき氷に限らす、豪華なトッピングは、他の食べ物にも、流行っているようですなー。

とにかく、何にでも、マヨネーズをかければ、と言うマヨラーと呼ばれる方もおいでのようですが。

麺類では、冷しラーメンのトッピングも賑やかのようですが、ソーメンがなかなかトッピングには向いているようですね。イチゴが添えられている程度なら可愛いもので、ソーメンの味自体に大きく影響しないでしようが、なんでもかでも載っければいいと言う訳には、行かないでしょうね。フルーツ盛りだかサラダだか、分からなくなってますからね。

その点、ソバは、トッピングには不利ですかね。イチゴ、リンゴ、ナシ、ブドウ、ミカン、パイナップルなどなど山盛りのザルソバとなると、ちょっとねー。まー、好きずきでしょうから、とやかくは申しませんが。

 

さて、何時ものように下らない事を、ダラダラとやっていますが、実は、今日のテーマ ? は、と言うほどの大袈裟な事は御座いませんが、アイスキャンデーでも、かき氷でも、ソーメンでもソバでも御座いません。言うならば、人の癖(クセ)とでも申せば、判り良いかも知れませんね。

どんな癖かと言いますと、言ってみれば、個々人の思考の在り方についてとでも申せば、判り良いのではと思われますがね。とは、申せ、漠然としていて判り難いかと、思われますが、大袈裟なことでは御座いませんよ。単なる軽い世間話、今流に申しますと、まさに、つまらねー、ネット話と言うことになりますかね。

さて、より分かり良く更に対象を絞りますと、ここでは、要は、個々人が生きていく上で、過去に考えの重点を置いているか、それとも今現在に重点を置いているか、それとも未来に重点を置くか、この個々人の思考の傾向について見ていこう、と言うことですよ。

と言うと、なかなかなものか、とお思いでしょうが、どっこいそうはいきませんよ。要は、与太話で御ざんす。

人それぞれ物事を考え、判断していく時に、過去にこだわる癖があるか、それとも、もっぱら今現在の目先の事ばかり気にしている癖があるか、それとも、未来を想定して物事に取り組む癖があるか、と言う様な事について、愚考してみよう、と言う魂胆なのですよ。

 

この頃は、ようやく「新コロナ」関係の規制が緩くなって、これまでじっと我慢の人達が、一気にあちらこちらにお出ましになりまして、あちこち物凄く賑わってますなー。3年余りの自粛の反動なのでしょうね。生き甲斐を何処に求めているかは、個々人によって異なる事は、申すまでも御座いませんが、多くの方々は、日々の生活においては、面白、楽しくと言う点に、重きを置いているのでは無いのでしょうかね。この面白い、楽しいと言う事柄は、実に色々だと思われますが、例えば、旅行が一般的に人気がある様ですね。いい景色、珍しい建物、史跡などなど、行った事がないところで、新しい経験をすることが、実に面白い、楽しいと言うことになるのでしょうな。

そこへ、テレビ局の方が、カメラ・マイクを引き連れて取材に現れますな。そして、大抵、この度の旅行の目的は ? てな事に話を向ける事が多いですな。そうすると、色々ですが、「想い出づくりに」とお応えになられる方が、実に多く見受けられるのですよ。ウソだと思ったら、今度、テレビでこんな取材の場面に、気を付けてみて下さいよ。ソファーに寝そべって、煎餅を齧って、お茶をすすりながらで結構ですから。

手間暇かけて、金かけて、高速道路の渋滞のビリにくっ付き、食べ物屋の長蛇の列のビリにくっ付き、ぶつかりながら人混みを掻き分けて、楽しんでいる目的は、「想い出づくり」なのですよ。なお、人混みを掻き分けなくとも、良いのですよ。人っ子一人見当たらない、田んぼと畑の田舎道で、ボウホヴに茂った雑草を掻き分け掻き分けても、一向に構いませんよ。人それぞれの好みですから、それぞれの楽しみ方についてとやかくは申しませんよ。

 

ところが、ここに今回の話のネタが転がっているのですよ。

そうです。ここに先に言った、個々人が生きていく上で、「過去にこだわる癖があるか、それとも、もっぱら今現在の目先の事ばかり気にしている癖があるか、それとも、未来を想定して物事に取り組む癖があるか、この個々人の思考の傾向が現れているのですよ。

そうです。「想い出づくり」に楽しみの重点を据えておられる方は、「過去に考えの重点を置いている方」と言えると思うわけですよ。旅へ出て、綺麗な風景に出会い、大いに感激し、写真に納め、史跡を見て新知識を得て感心したり、食べ物屋さんの長蛇の列を堪え忍んで、ようやくゲットした名物に旨い物なしの名物にありつき、まさに旅を楽しんでいる最中は、その旅にどっぷりと浸かって、その瞬間を楽しみ、大いに満足して、たっぷりと幸せを感じておられると思いますが、その時だけではないのですね。それから何年か時間を経た後のある時に、そっと思い出す、この想い出が、なんとも楽しみなのですよ。このために、「想い出づくり」の旅に出かけるのですから。

このタイプのお方は、実に「過去に考えの重点を置くお方」すなわち「過去重点指向型」のお方と、言えると思うのですよ。もっとも、私の独偏(独断と偏見の略語)ですがね。

 

さて次に、「もっぱら今現在の目先の事ばかり気にしている癖」の独偏(独断と偏見の略語)「目先重点指向型」について、ちょっとだけ見ておく事にしましょうか。

「目先重点指向型」に付いては、もー何にも四の五の申す事は御座いませんな。要するに、現実重視の方ですよ。過ぎ去った過去のことなど、いちいち拘っていられない、また、どうなるか分からない未確定な未来の事などにカマっていられない、今現在が問題なんだよ。と言うタイプですね。

このタイプの方は、きっと一番得をする様ですよ。一緒に食事に行ったりして、ラーメンを注文して、チャーシューは後の楽しみに、なんて、とっておこうものなら、「お前、チャーシュー嫌いか」なんて、いきなりパクッと食べちゃう方ですからね。カレーを頼んでも、はじめにルーばかり食べちゃって、ご飯だけ残ったら、お前まだルー沢山残っているな、少し食べてやるよ、恩ぎせがましく、なんの躊躇いもなく、さらっていっちゃうからね。海鮮丼でも、ウニ、イクラなどは、さっさと食べてしまつて、隣の人の丼に手を出して来ますからね。たまったものでは御座いませんよ。

とにかく、一番美味そうなところを躊躇なくパクパクと行きますからね。勿論、食べ物に限った事では御座いませんよ。社会万般において、とにかく、目先の問題に最も強い関心を持ってらっしゃるお方で御座いますよ。今現在を如何に有意義に過ごすか、と言う点に思考の中心をおいているお方様であります。

次に、未来を想定して物事に取り組む癖がある方についてですね。

独偏(独断と偏見の略語)で、「未来重点指向型」につてですが、これは、言うまでもなく、過ぎ去った過去に拘るよりも、また、現在の目先の問題ばかりに目をやると言う事より、今後の展開に関心の重点を置いて、物事に臨む事を指向している方ですよね。

「目先重点指向型」の方からすると、どうなるか分からない未来の事よりも、今現在目の前で展開されている事に関心を持ち、そこに重点をおいて、物事を考える方が、大切に決まっていると思われるでしょうね。確かに、今を生きている人々は、正に現時点を生きているのですから、現時点に最大の関心がある訳でしょうね。

しかしですね、現時点で物事を考える場合に、どちらかと言うと回顧的な思考によって、物事に取り組もうする場合と、過去は殆ど気にせず、現時点の事情を最優先に、物事に取り組もうする場合がありますね。以前に勤務先である問題について、会議を重ねて意見交換を行っていたところ、甲氏はこれはAだと強烈な意見を述べていたのですが、これが翌日になったら、これは絶対にBだと言い張り出したのですよ。どう言う理由だと問いただしたら、昨日は気が付かなかった事に、新たに気が付いたのだと、と言うのですよ。しかし、昨日今日の問題ではなく、この点については、随分以前から議論し続けていた事だったので、一晩寝たら意見が変わったと言われたのでは、なかなか納得行かない事がございましたな。「過去重点指向型」の方は、まず、この様な事は言い出しませんが、「目先重点指向型」の方は、これまでと異なる事を平然と言い張りますからね。明日になったら、また、異う事を言い出し兼ねないので、信用ならなくなるのですよね。

これに対して、「未来重点指向型」の方は、幾分現実離れした事をでも、想像力豊かに、見通す事を指向するタイプですね。どの様な事を対象にするかは、それぞれによって、異なるでしょうが、このタイプの方には、優れた洞察力が望まれますな。

「目先重点指向型」は実情が目の前にある訳ですから、それを見据えれば事足りる訳ですね。「過去重点指向型」の人は、過去の事実から教訓を引き出して、現実の問題の処理に当たれば良い、と言う事ですね。

これに対して、「未来重点指向型」は将来をどうするか、どうなるかを考えの基礎にして、論理を手掛かりに、より良い未来を指向すると言う事になりますね。ですから、より広い視野を持つ必要がありますね。要するに、より高度な洞察力が必要になる、と言う事ですね。なにせ、いまだ未定の事を現時点で予想しなくてはならないので、なかなか簡単では御座いませんな。洞察力に優れた方でないと不向きですね。

 

ところで、今現在の政治、経済、社会などに目を向けてみますと、どうでしょうね。ここで問題としたいのは、今現在の政治、経済、社会等について、どの様にすれば、皆が安心して、楽しく生活する事が出来るのか、と言う事を専らの仕事としておられるはずの御方々ですよ。手っ取り早く申しますと、国会議員をはじめとする政治家先生の方達ですよ。

この先生方のなさっている事は、と言います、多面に及びますが、実に過去においてやった事の失敗の尻拭いが、とてつもなく多いのですよ。過去に、しっかりと検討せずにやった政策の後始末をどうするか、と言う事が、実に多いのですよ。馬鹿馬鹿しい限りですね。これは結論的に申しますと、政治家先生の大多数が、「目先重点指向型」だと言う事ですよ。いってみれば、選挙対策の目先の事にしか目がいかず、その政策を行えば、将来どうなるのか、と言う側面を殆ど考えない、御粗末を延々と続けているからですよ。短慮の政策は、時期に具合の悪さを呈する事になりますね。

例えば、現在問題となっている少子化の問題、年金問題原発問題、国防問題、食料問題、防災問題、マイナン保険証問題等々、あげればキリが御座いませんな。今も続く「未来重点指向型」の政治家の不足、現議員の洞察力の無さが、恨まれますな。

重要な政策に対する検討が未熟のまま、「目先重点指向型」の議員に押しまくられて、いつも中途半端な議論の末に、重大事案を決めてしまい、すぐに綻びが現れて、あたふたする有様ですね。今現在最も注目されているマイナン保険証問題など、何をやってるんでしょうね。綻びが目立ったら、その部分だけ繕いで誤魔化そうとする。誤魔化しのせいで、また、別の新たな綻びが現れる。全くキリが御座いませんな。

どうしてこうなるのだ、と言うと、誰しも自覚がこざいますなー。きっと、この様な政治家を選挙で当選させた、国民有権者のせいですだよ。何を隠そう殆どが、「目先重点指向型」の有権者が多いからではないでしょうか。難しくて取り組み難いけれども、「未来重点指向型」を指向して欲しいものと、ジジーは嘆くのですだよ。

 

アーア、将来の年金はどうなるのだ !

アーア、人口減少の結果はどーなるのだ !

アーア、原発の後始末をどうするのだ !

・・・・・・・・・・ !!!

アーア、先々は、どうなるの ? ? ? ? ?

「未来重点指向型」の方、何とかしてー。期待しているよー。

 

結局は、ジジーのボヤキと言う落ちで御座います。

どうも御付き合い、有り難う御座いました。

お疲れ様でした。

御後がよろしい様で。